昨日、civil という言葉について書きましたが、「市民権」を表す citizenship という言葉も気になったので、思い出したことなどを書いてみます。
こちらの小学校、中学校では、学期末に、award ceremony があり、生徒が達成したいろいろなことについて表彰され、親もそのセレモニーに参加します。 また、何も表彰されない生徒は、このセレモニーに出られず、小さいうちから、シビアなものだなあと思ったりします。
成績優秀者他、スポーツ、芸術面で達成したこと、皆勤賞など、いろいろな分野の表彰がありますが、その中で、citizenship award と言われる賞があります。 これは、直訳すれば、「善良な市民、国民賞」ということになりますが、学校においての citizenship award は、クラスで、皆に親切にしたり、よい行動がとれた生徒に贈られる賞です。
学校で生徒に贈られる賞に、citizenship という単語を使うのを、最初に聞いたときには、ちょっと大げさな響きがしたものです。
ところで、civil rights は、言論や宗教の自由など、citizen (市民)が平等であり、差別されることのないように守られているような権利のことです。
また、citizenship も、city と関係する語ですが、ある市、国に属しているというメンバーシップのような意味です。
その市民、国民が、その市、国に住むことができ、仕事をしたり選挙権があり、税金を払ったりというような権利と義務が伴います。
他の国で生まれた人が、違う国の市民権を取る場合は、get one's citizenship と言います。
しばらくアメリカに住んでいると、アメリカの市民権は取らないのかと聞かれることもありますが、私は、そのつもりはありません。
グリーンカードで十分だと感じています。
civil rights (市民権、公民権)の civil は、「市民の」という意味ですが、civil war (内乱、内戦)、the Civil War (アメリカの南北戦争)の civil は、「国内の」という意味になります。
それら とは少し違って、「礼儀正しい、ていねいな、親切な」という意味で使われる civil があります。
礼儀正しい、ていねいな、という一般的な単語には、polite がありますが、使われる状況が違います。
civil は、polite よりも、ていねいさが弱く、最低限の礼儀正しさを表し、多少よそよそしさが感じられる場合もあります。
例えば、ちょっとした車の接触事故を起こした当事者同士が、お互いに相手が悪いと思いながらも、とりあえずは、きちんと連絡先の交換をしたり礼儀正しく相手に接することができたら、彼は、civil だったと言えます。
また、離婚した夫婦が、その後も、子供のために、お互いに対して、フレンドリーというわけにはいかなくても、最低限のていねいさで、つきあっていくというような場合も、They are civil to each other. と言えます。
最近は、ソーシャルメディアなどで、人の悪口を言ったり、攻撃したりすることが頻繁に行われていますが、そういう無礼な行為に対して、civility が、なくなってしまった世の中だと言われていることもあります。 civility の反対の incivility という名詞もよく見かけます。
civil life (市民 / 社会生活)を送っていくなかで、皆が、人としての最低限の礼儀正しさを示していくことは、大事なことですね。
昇格、昇進するという単語は、promote で、次のようによく使われます。
He was promoted to police chief.
(彼は警察署長に昇進した。)
promote の反対の降格という単語は何と言うでしょうか。
近所で知り合いの女性と話したときに、彼女のご主人の仕事の話になったのですが、assistant police chief (警察副署長)まで昇進したご主人は、ストレスが多くて、少し下の役職へ異動させてもらったと言っていました。
そのときに、彼女は次のように言っていました。
He was demoted to captain.
(彼は、降格して警察分署長になった。)
通常は、降格するというのは、何かの処罰としての結果かと思っていましたが、自分の希望で降格することもあるようです。
demote という単語は、 de = down + mote (motion = 動くこと)ということで、promote (pro = 前方へ + 動く)の反対の意味になるのは、よく分かります。
警察分署長になったご主人は、ストレスが軽減されて、機嫌よく勤務されているようです。
自分のストレスレベルを把握して、無理をしすぎないように自分の環境を変えて生活していくのは、大事なことだと思いました。
empty と言えば、「からの、空いている」という意味が、まず最初に思い浮かびます。
empty-handed は、「手ぶらで、何の収獲もなく」というような意味で、次のようによく使われます。
I can not go to the party empty-handed.
(そのパーティには、手ぶらでは行けない。)
また、empty nest は、子供が成長して独立した後の家庭のことですね。
empty threat という表現は、最近知ったのですが、「見せかけだけのおどし」ということで、このempty は、「口先だけの、無意味な、空虚な」という意味になります。
例えば、夫婦げんかで、今度こんなことをしたら離婚するわよ、と奥さんが旦那さんに言ったりするようなことで、本気ではないことを口走ったりすることです。
また、先生が、生徒に、本気なのか冗談なのか分かりませんが、Remember, I am controlling your grade. (成績を決めるのは私だと言うことを覚えておきなさい。) と言ったりすることもあるようですが、empty threat だと思って先生の言うことを聞かない生徒もいるようです。
empty threat は、あまりよい戦術だとは言えないように思います。
いろいろな記事やニュースなどで unforgiving という単語を見聞きするのですが、様々な場面で使われていて、おもしろいなあと思ったので、いくつか紹介します。
unforgiving は、forgiving の反対で、「許さない」ということを基本として、いろいろな使い方があります。
フィギュアスケートについてのニュースの中で、フィギュアスケートが、unforgiving sport だと言われていました。
これは、「失敗が許されない厳しいスポーツ」ということになります。
もちろん、どんなスポーツにも言えることかもしれませんが、少しのミスで減点されていくわけですから、まさに unforgiving というのがぴったりなように思います。
また、インテリアデザインについての記事の中で、次のように書かれていました。
Hardwood floors are a popular style for any home, and adding comfort to the chic-but sometimes unforgiving look is easy with the right accessories.
(硬材の床は、どんな家にも人気があり、モダンな雰囲気に快適さを与えるが、時には、過失が許されないような外観で、ちょうど合う付属品(じゅうたんなど)があると気楽な感じになる。)
硬材の床は、フローリングと言う方がよいのでしょうか。 確かにすっきりとして、きれいですが、キズがついたり、きれいなままを保つのは大変なのかもしれません。 そういう意味で unforgiving が使われているように思います。
また、トランプ大統領の北朝鮮に対する態度について、his more unforgiving tone toward the North Korea のように使われていましたが、この unforgiving tone は、「情け容赦ない論調」という感じでしょうか。
他にも、unforgiving climate 「過酷な気候」のようにも使えます。
まとめると、unforgiving は、「過失を許さない、容赦のない、厳しい、過酷な」のような意味で使われています。
invite は、「招待する」という意味で、I will invite them for dinner. (私は彼らを夕食に招待しよう。)のように使われますが、次のような "自分自身を招待する" という表現もたまに耳にします。
He invited himself to the party.
(彼は、招待されていないのに、勝手にパーティにやって来た。)
私はキリスト教徒ではありませんが、以前に二回ほど行ってみた教会の牧師さんが、我が家へ来られて、私が理解できていないキリスト教についての質問に答えてくださったりしたのですが、その牧師さんは、特に私たちが招待したわけではないのに、勝手に来られたという感じでした。
その時、どうして彼がやって来たのかと夫の聞いたときの返事も、He invited himself. でした。
invite oneself は、こちらが招待したわけではないのに、押しかけるという感じの意味になります。
under や below のように頻繁に使われるわけではありませんが、最近何度か目に留まった beneath という単語があります。
beneath も「.....の下に」という基本的な意味があります。
トランプ大統領が、ツイートでいろいろなな人を攻撃していることに関して、次のような文が新聞に載っていました。
It's beneath a president of the United States and just so contrary to the way we expect a president to act.
(そういうことは、アメリカの大統領にふさわしくなく、大統領に、とってほしい行動のまったく反対だ。)
また、NBC の経営幹部は、次のように言っています。
It's beneath my dignity to respond to Trump attacks on Mika Brezezinski.
(Mika Brezezinski に対してのトランプの攻撃に返答することは、私の威厳にかかわる / 品位を落とすことになる。)
beneath a president of the United States、beneath my dignity は、それぞれ、「アメリカ大統領の下」、「私の威厳の下」では、自然な訳にはなりませんね。
もちろん、これでも何となく意味は分かりますが、このような beneath は、「.....の品位、体面にかかわる、.....に値しない、ふさわしくない」と訳せばすっきりするかと思います。
私は、高校時代から和訳が苦手で、英語で何となく意味が取れれば、きれいな自然な日本語に訳すことは、あまりしてこなかったのですが、辞書を引くと、なるほどと思える訳語がたくさん載っていて、今さらながら勉強になります。
could not get any better や、It does not get any better と比較級を使って、最上級の意味になる言い方をよく聞きます。
これらは、直訳すると「今の状態よりよくなることはない」という意味で、つまり「完璧だ」ということを意味しています。
日本語でも、これ以上よい状態はあり得ないなどと、大げさに言うこともありますが、そんな感じかと思います。
好きな料理をつくって、それが最高にうまくできたときなどに、It can not get any better than this. (これ以上のものはあり得ない。) と言えます。
すばらしい景色を見たときにも、Wow, it can not get any better than this. と、大げさに言うこともできます。
また、仕事も順調で、大恋愛の末に結婚も決まり、新婚旅行では行きたかった国へ行って、もう言うことなしというような気分のときに、It does not get any better. と言えます。
最高の状態、気分などを表したいときに使える表現です。
日本語で、「.....の方がまだましだ。」という表現がありますが、考えてみると、「まし」という言葉とぴったり同じな英語はないなあと思いました。
それで、思い出したのが、could be worse という表現です。 これは、It could be worse. や、Things could be worse. とも言います。
例えば、自分の住んでいる町が、気に入らなくて、どこか他のところへ引っ越したいなあと思いながらも、まあもっと危険な町もあるだろうし、ここもましな方かなあというような場合に、次のように言えます。
I don't like this place so much and would love to move to somewhere else, but things could be worse.
(私はここがそんなに好きではなく、どこか他へ引っ越したいけど、もっとひどいところもあるだろうし、この程度で我慢しないとね。)
また、テストで、期待ほどの点数が取れなかった時など、残念がっている人に、慰める気持ちで、上を見たらきりがないよ、というような意味で、Things could be worse. と言うこともできます。 もっと悪い結果もあっただろうけど、まあ悪くないじゃないか、という感じです。
Things could be worse. は、「現状より悪いこともあり得る。」ということなので、辞書には、「まあまあだ、この辺が我慢のしどころだ、上を見ればきりがない」などの訳が載っていました。
日本語の、「まし」という言葉は、「他と比べると、よい方だ。」という意味ですが、could be worse は、「もっと悪い状態もあり得るので、それと比べるとよい方だ。」ということです。
驚いたときに発する言葉には、いろいろありますが、holy mackerel もそのひとつです。
holy は、「神聖な」、mackerel は、「サバ」です。
他にも、holy cow (神聖な牛)もよく聞きます。 ヒンズー教徒が、holy cow と言うなら理解できますが、宗教とは関係なく誰でも言っているようです。
そして、どうして、サバが使われるのか気になって、少し調べてみました。
単に、Holy Mary や Holy mother of god と言う代わりに、m で始まる単語が使われれているということや、カトリック教の人は、金曜日に魚を食べる習慣があるようで、19世紀には、mackerel snatchers (サバをひったくる人)と呼ばれていたようです。 サバは安価で手に入りやすい魚だったようです。
またフランス語の maquerelle には、俗語で「売春あっせん業者」という意味もあるようで、どうして神聖なことになるのか、よく分かりませんが、とにかく、驚いたときに、Holy mackerel ! や Holy moly ! などと言いますが、どちらかというと、年輩の人が使うようなイメージです。