pregnant とは、「妊娠している」という意味で、She is six month pregnant. (彼女は、妊娠6か月だ。)のように使いますね。
pregnant の主語は、当然女性だけだと思っていましたが、何度か、We are pregnant. と、夫婦として言うのを見聞きしたことがあり、ちょっと違和感を感じていました。
きっと、夫も妻と同じように妊娠した気持ちを分かち合ったり、定期健診に付き添ったり、妻だけの妊娠ではないという感じなのでしょうね。
また、妊娠していることを、遠回しに言うことがよくあり、She is pregnant. の代わりに、She is
expecting . のように言います。
そして、これも、夫婦で、We are expecting a baby. のように言うことがよくあります。
expect は、「予期する、やって来ると思う、期待する」などの一般的な意味があるので、夫婦で赤ちゃんの誕生を待っている感じがして、自然な表現のように思います。
We are pregnant. は、子供を産むというのは、女性だけのものではないという一心同体的なものを感じますが、私は、個人的には、expecting という言葉で十分一緒に幸せを分かち合っていることを示せるのではないかと思います。
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家を売りに出すと、気に入って買いたいという申し出があっても、こちらの希望する金額よりも安い金額で購入したいということがよくあります。 そこで、売主としては、もう少し待ったら、もっとよい金額で購入してくれる人が現れるのではないかと考えてしまいます。 そのときに、私たちがお世話になった不動産屋さんが、次のようなことわざを言いました。A bird in the hand is worth two in the bush. (手中にある一羽は、やぶの中の二羽の値打ちがある=明日の百より今日の五十) そして、a bird in the hand は、「掌中にあるもの、現実の利益」という意味です。 つまり、不動産屋さんが言いたかったのは、将来あるかどうか分からない申し出を待つよりも、今ある申し出を大事にしてはどうかということですね。 他にも気に入ってくれていた人たちもいたのですが、タイミングが合わず、結局、この不動産屋さんのアドバイスを聞き、手中の鳥が逃げてしまわないうちに、売ることに決めました。
ある大学の宗教主事の方が書かれた記事を読みました。 聖書の中の次のような文について書かれたものです。 Let your speech always be gracious seasoned with salt , so that you may know how you ought to answer each other. (いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。) 塩で味付けされた言葉とは、どのように解釈すればいいのかと、記事を読み進めました。 言葉で何かを伝えるときには、塩で味付けすることが大事だということです。 素材の味わいが一番大切ですが、その味わいを塩はさらに引き立てさせると書かれています。 多すぎても少なすぎてもいけない。 よい塩加減には修練、熟練が必要だということです。 言葉を塩で味付けするということは、tolerance (寛容)、thankfulness (感謝)、kindness (親切)などで味付けした表現ということのようですね。 批判をしたり、文句を言うことは簡単ですが、その前に一呼吸置いて、ちょうどよい塩加減で味付けしてみることも大事かもしれません。 私はクリスチャンではありませんが、聖書には、よい言葉がたくさん含まれているように思います。
先日、息子が、サッカーで、1人の選手が1試合に2回ゴールすることを何というか知っているかと夫と私に聞きました。 3回ゴールすることは、hat trick というのは知っていましたが、2回ゴールすることにも特別の言い方があるとは、夫も私も知らなかったのですが、brace と言うそうです。 そして、いつものように、どうして、brace なんだろうと気になり調べてみました。braces と複数形になると、「歯の矯正器」 となりますが、 brace とは、「支える、補強する」という意味があります。 また飛行機に乗ると、安全のために、緊急事態の場合の不時着時の姿勢などが画面に流れることがありますが、その中で、brace brace と言うのを聞いたことがあるかもしれません。 このような brace は、「身構える、.....に備えて用意する」という意味です。 そして、辞書を見ると、brace には、「鳥や動物などのつがい、ペア」という定義が載っており、a brace of quails (ひとつがいのウズラ)のような例があり、これが、ゴール2回と関係するのではと思いました。 brace のペア、1組というのは、どこから来たのか、さらに調べてみると、brace は、フランス語の bras (腕)が、語源で、腕は一組二本あるということのようです。 歯の矯正器も、腕という意味の言葉だったとは、びっくりしましたが、補強、支えるのは、腕を使うということが本来の意味なのでしょうか。embrace (抱きしめる)というのも、腕の中で抱きしめるということですね。 猟師が一組の鳥(2羽)を射止めることが、サッカーで2回ゴールするという意味にもなったわけですが、これは、主にイギリスで使われる表現のようです。 ゴールキーパー以外は、腕が使えないサッカーで、2回ゴールすることを brace というのもおかしな話だなあと思ってしまいました。
スポーツの試合の途中で、どちらのチームが勝っていて、どちらが負けているかと言うことがあります。 勝っている場合は、日本語でも「リードしている」などと言いますが、英語でも、leading by a score of five to two (5対2でリードしている。)のように言えます。 では、負けているというのはどうでしょうか。 もちろん、losing を使ってもいいのですが、次のように言うのを、よく耳にします。 Brazil is trailing first time in this tournament. (ブラジルは、このトーナメントで、初めてリードされている。) Belgium was trailing Japan 2 - 0. (ベルギーは、2対0で、日本に負けていた。) trail というのは、トレイルと日本語でも使いますが、ハイキングなどをする山道のようなもので、人や動物が通ってできた道ということです。 trail は、「通った跡、跡をつける、引きずる」などの意味があり、移動住宅のことを、trailer house と言いますね。 そして、跡をつけるということで、後からついていくということになり、試合や選挙などで、「負けている、リードされている」ということになるようです。 ハイキングコースのトレイルからは、想像しにくい使い方ですが、 losing が確定ではない場合は、trailing (遅れをとっている)のような言葉が使えるといいですね。
ワールドカップのブラジルとベルギーの試合を見ましたが、前半2-0 という結果で終わり、テレビの解説者は、その結果を次のように言っていました。 Belgium 2 Brazil nil Brazil zero でもいいのでしょうが、スポーツの結果では、このように言うことがよくあります。 nil という言葉は、「無、零」ということで、nothing という意味です。 nil というのは、ラテン語 nihil nihilum の短縮された形だそうです。 日本語では、ちょっと影があって暗い感じがするような人のことを nihil (ニヒル)な人などとと言いますが、元々は、nihil とは、「虚無的な」という意味で、哲学用語のニヒリズム、虚無主義を表す言葉です。 無存在ということで、ゼロということになるのでしょうが、こんな哲学的な言葉が、スポーツの試合の得点を表すのに使われるのが、おもしろいなあと思います。 ブラジルとベルギーの試合は、結局2-1で、ブラジルが負けてしまいましたね。 ブラジルには、日本に勝ったベルギーに勝ってほしかったのですが、残念です。。
7月4日は、アメリカの独立記念日で、庭で、バーベキューパーティをしたり、各地でパレードがあったり、夜には花火が上がり、楽しい一日となります。 我が家は、祝日の気分もなく、今月後半の引っ越しに向けて、段ボール箱に荷物を積める作業に明け暮れておりました。 独立記念日には、有名なホットドッグの大食い大会があり、毎年ニュースで、その様子を少し見るのですが、今年は、10分間に、男性では、74個、女性では、37個を食べた人が優勝だったようです。 この優勝した女性は、日系の方で、びっくりしてしまいます。 このようにホットドッグをいくつ食べられるかを競うようなときなどに、「むしゃむしゃと食べる」ことを、chomp / champ と言い、次のように使います。 Miki Sudo held on to her title as the top women's competitor chomping 37 franks and buns. (すどう みきさんは、37個のウインナーソーセージとパンをむしゃむしゃと食べ、女性出場者のトップとしてのタイトルを保持した。) 大食い大会ではなくても、ガツガツと食べ、マナーが悪いような食べ方をしている場合も、chomp / champ と言えます。 また、champ と言えば、champion (チャンピョン、優勝者)の省略形でもあります。 むしゃむしゃと食べて、優勝すると、champing champ ということになりますね。 それにしても、ホットドッグを74個も食べるとは、想像するだけで、お腹がいっぱいになりますね。
先日、メリーランド州の新聞社で、銃乱射事件があり、5人の方が亡くなった事件がありました。 犠牲者の中の一人について、彼は、jack-of-all-trades だったとテレビのニュースで伝えられていました。 jack /Jack は、「男、やつ」ということで、男性の一般名詞のように使われることがあります。 jack-of-all-trades を直訳すると、「すべての仕事(ができる)男」となりますが、この jack-of-all-trades は、実はその後に続く言葉があり、次のようになります。Jack of all trades, and master of none. (何でもやれる人は、どれも中途半場だ - 多芸は無芸) 私も、今までこの jack-of-all-trades という表現は、ネガティブなイメージで覚えていたのですが、先日のニュースの中の使われ方を聞いて、そうでもないことに気づきました。 亡くなった方のことを、多芸は無芸だなどと言うこともないでしょうし、ここでは、jack-of all-trades は、「何でもできる多才な何でも屋」 という意味で使われているようです。 ウィキペディアによると、Jack of all trades, and master of none の後に、but oftentimes better than master of one (それでも、ひとつのことに専門家であるよりはよいということがたびたびある。)が付け足されたものもあるようです。 ひとつのことに対して専門家であるよりも、いろいろなことができる方がいいという意味もあるわけですね。 夫や友人に、この表現のニュアンスを聞いてみると、どちらもポジティブな意味としてとらえているようです。 jack-of-all-trades という表現は、ほめ言葉になる場合もあれば、状況によっては、「多芸は無芸」のように受け取られる場合もあるので、少し要注意な表現のように思います。 ニュースの中で使われていた jack-of-all-trades は、そのジャーナリストが、ひとつの専門分野ではなく、いろいろな分野の記事が書ける頼りになる方だったということなのではないかと思います。お知らせ 突然ですが、今月、アメリカから2年の予定で、日本へ引っ越すことになりました。 しばらく忙しくなりますので、このブログは、不定期で、時間があるときに更新するということにさせていただきます。 日本では、今までより英語に接する時間が少なくなるとは思いますが、何らかの形で、英語には触れていたいと思っています。 落ち着きましたら、またこのブログをどのように続けていくかを考えたいと思います。 いつも、ご訪問くださっているみなさま、いつも読んでいただきありがとうございます。 今年も暑い夏になるようですが、どうぞお元気で、楽しい夏をお過ごしください。。
アメリカのソファは、アメリカ人の体形に合わせて、大きいものが多く、我が家のソファも、私が座ると、足が床に着きません。 sofa は、日本語にもなっていますが、もうひとつ、ソファとほぼ同じように使われる couch (カウチ)という言葉があります。couch potato の couch です。 私が交換留学生だったころ、イギリス出身のホストマザーは、いつも sofa のことを、couch と言っていました。 そのころから、couch という言葉が気になっていたのですが、フランス語を習ってから、なるほどと思いました。 フランス語で、coucher (クシェール)は、「寝かせる、横になる」という意味です。 英語の couch は、「横になるところ」という意味だと分かって、すっきりしたものです。 ついでに、sofa は、どこから来たのだろうと調べてみると、アラビア語の suffah で、bench of stone or wood (石や木でできたベンチ)が語源だそうです。 sofa も couch も、座ったり横になったりするところという意味ですね。 もうひとつ、ソファの上に置くクッションのことを、pillow と呼ぶことがあり、最初は違和感を感じたものです。 pillow は、寝るときの枕だけではないようです。 日々の生活の中で何気なく使っているものにも、ひとつひとつ言葉には背景があり、それらを知るのは楽しいものです。。
物事について、詳しく知っていても、控えめに、「少しは知っている。」などと言うことがあります。 英語でも、次のように言うことができます。 I have traveled all over the world, and I know a thing or two about flying. (私は、世界中を旅して、飛行機で旅することについて多少は知っている。) know a thing or two というのは、文字通りに理解すると、「一つか二つのことを知っている」ということですが、少ししか知らないというわけではなく、「少しは知っている」ということになります。 少しは知っている、多少は知っているということは、実は、経験や知識が豊富で、たくさんのことを知っているということです。 know a thing or two というのは、それを、謙遜する言い方です。 日本語の場合はどうでしょう。 少しは分かるけど、と言う場合、本当に少ししか分からない場合と、謙遜の場合と両方あるかもしれませんね。 また、know a thing or two は、「抜け目がない」という訳もあり、辞書に次のような例文がありました。 You can't deceive her because she knows a thing or two . (彼女は、抜け目がないから、だませないよ。) a thing or two というのは、文字通りではないようです。