赤ちゃんの歯がはじめて生えてくるときは、むずむずするのか、赤ちゃんの機嫌が悪くなることもあり、次のように言うことがあります。
He must be
teething as he has been a little cranky.
(彼はちょっと機嫌が悪いが、歯が生えはじめているにちがいない。)
teeth は、tooth の複数形ですが、
teethe という動詞で、「赤ちゃんや幼児の歯が生える」という意味です。
通常は、
be teething という形で使われることが多いかと思います。
そして、歯が生えることを、
cut a tooth、cut one's teeth と言うこともあります。
さらに、次のように比喩的にも使えます。
After he
cut his teeth on Harry Potter series, his reading genre got expanded.
(彼は、ハリーポッターシリーズをはじめて経験してから、読書ジャンルが広がった。)
このような cut one's teeth on は、「.....ではじめての経験をする、若いときに、.....を学ぶ」という意味になります。
どうも、歯を cut するという感覚が分かりにくいなあと思い、辞書を読んでいると、cut の定義の中に、「赤ちゃんの歯が生える」という意味も載っていました。
歯が、歯茎を破って出てくることが、cut のようです。 そして、それが、はじめての経験という比喩的な表現につながっていくのが、おもしろいなあと思います。
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外国人が書いた日本紹介本が多く出版されている中、それらの多くは、詳しい日本の生活描写ではなく、表面的なものだという新聞記事がありました。 下記はその中の一部です。 Most readers don't want to know what it's really like. They will get bored and restless if you try to give them too much detail. In other words, they want beach reads . (ほとんどの読者は、本当はどうなのかは知りたがらない。彼らは、あまり詳しく書くと退屈して落ち着かなくなってしまう。 言い換えれば、簡単に読める本がほしいのだ。) beach read とは、直訳すると、「ビーチでの読み物」となりますが、次のような定義が載っています。 a book you can take on holiday, which is good enough to keep you engaged but not so serious it will spoil your holiday (休暇に持って行けるような本で、十分興味を引く内容であるが、それほどまじめではなく、休暇を台無しにしないようなもの) なんとなくイメージがわきますね。 欧米人は、夏休みも長く、また有休もしっかり取るので、まとまった休日があり、夏休みにビーチの木陰で楽に読めるような本という感じですね。 beach read という言葉は、テレビで本の紹介のときなどに聞いたことがありましたが、主に夏のバケーションに持って行けるような本ということで、あまり難しくない本という意味で、一般的にも使う場合もあるのかもしれません。 少し注意すべきところは、read をこのように名詞として使っているところです。 read は、「読み物、読書」として名詞でも使えます。 a good read (よい読み物)、a quick read (すぐに読める読み物)のようにも言えます。 beach read や、自分の興味のある本を持って過ごすのんびりしたバケーションもいいものですね。
間違っているという意味では、まず wrong を思い出すでしょうか。 また、次のような言い方も見聞きすることがあります。 If I am not mistaken , ......(もし、私が間違っていないとすれば、......) 「確か......だと思うよ。」という場合にも使えそうです。 そして、wrong と mistaken を使い分けている次のような文もあります。 You might believe someone else is mistaken if their opinion seems wrong to you. (他の誰かの意見が正しくないと感じると、彼らは判断を誤っていると思うかもしれない。) wrong と mistaken は、重なる部分もありますが、どのような違いがあるのでしょう。 どちらも判断を間違ったという意味もあるのですが、wrong には、道徳や法律などの基準に対して間違っているという意味もありますね。 例えば、The death penalty is wrong . (死刑は、間違っている。)のように言えます。 make a mistake という表現もありますが、mistaken は、自分の考えや行為に対しての判断に誤りがあったという感じです。 とはいえ、間違い電話は、You have the wrong number. (番号を間違っていますよ。) と言い、これも自分の行為の間違いですが、これは、判断というよりも、right or wrong (正しいか間違いか)なので、wrong を使うことになるのでしょうね。 また、お店で買い物をして、ラーメンのしょうゆ味を買ったつもりが、帰ってからパッケージを見ると味噌味だったというような場合、I grabbed the wrong one. (間違ったのを取ってきた。)のように言えます。 このような wrong は、「不適切な、ふさわしくない」という意味の間違いです。 最後に、辞書の例文を見ていると、次のような文がありました。 Not apologizing for a mistake is another mistake. (間違いに対してあやまらないのは、もう一つの間違いだ。) これは、まさに、孔子の言葉、「過ちて改めざる、これを過ちという。」ですね。 自分が判断を誤ってしてしまった間違いは、きちんと認めたいものですね。
米宇宙開発会社スペースXが計画する月の周回旅行で、初めて月へ向かう人物が、日本の実業家、前澤友作氏であることを発表しました。 下記は、前澤氏についての新聞記事の見出しです。 Maezawa : Enfant terrible with world's first ticket to the moon (若き成功者、前澤氏、月への最初の切符を手にする) enfant terrible (アンファン テリブル)は、フランス語ですが、英語の中でも使われるようで、文字通りには、「恐るべき子供」という意味です。 手に負えないような、人前で親が恥をかいてしまうような子供のことです。 それが、大人にも使われるようになり、「型破りな行動で当惑させる若くして成功した有名人」という意味があるようで、次のような定義が載っています。 An enfant terrible is an unconventional, blunt, and sometimes offensive or embarrassing person. Many enfants terribles are successful or famous, which they may think excuses their behavior. (アンファン テリブルは、型にはまらず、ぶっきらぼうで、ときには、無礼で恥ずかしくなるような人である。 彼らの多くは、成功者で有名なこともあり、彼らの行動が許されると思っていることがある。) そういう感じの人は、たまにいますね。 成功する人は、どこか一風変わった感じがする場合もありますね。 前澤氏のことは、テレビでちらっと拝見しただけですが、確かにちょっと変わった雰囲気がするようにも思えました。 ついでに、「手がかかる2歳児」として、terrible twos という表現がありますが、enfant terrible も一緒に覚えておくといいですね。
トランプ大統領が連邦最高裁判所判事に指名した Brett Kavanaugh が、学生時代に、女性に性的暴力をふるったという疑惑問題について、彼は、そのことを強く否定しているという記事を読みました。 次のような見出しです。 Supreme Court nominee Brett Kavanaugh categorically denies claim about alleged behavior in high school. (最高裁判所判事に指名されたブレット カバノーは、高校での疑惑行為の主張について、全面的に否定している。) ここで、categorically という単語に目が留まりました。 categorical / categorically というのは、「全面的な(に)、絶対的な(に)」という意味で、absolute(ly) と置き換えられるような言葉です。category というのは、カテゴリーと日本語にもなっていますが、「種類、区分」という意味ですね。 それが形容詞、副詞になると、どうして、全面的なという意味になるのでしょう。 とても不思議に思って、語源などを調べてみました。 category というのは、もともとは、哲学的な分野の分類を意味していたようです。 後期ラテン語の categoria は、アリストテレスのロジックの「高い概念」を表し、ギリシア語の kategoria は、その動詞形 kategorein に、「何かに対して、非難したり、はっきりと断言する」という意味があったようです。 category には、もともと「はっきり断言する」という意味があるということで、絶対的に否定するという場合の副詞として、categorically が使われていることに少し納得できました。 また、ギリシア語の kategorein は、agora (public assembly) = 公的集会とも関連がある言葉のようで、kategorein には、集会で多くの人の前で演説するというイメージもあります。 categorically deny というと、絶対的に事実ではないということを、多くの人に訴えた感じがしてきます。 分類という意味で軽く使われることが多い category ですが、言葉というものの全体像が見えてくると、また楽しいものです。
さまざまな親のタイプがありますが、helicopter parents や tiger moms のような表現を聞いたことがあるかもしれません。 helicopter parents は、子供に干渉しすぎるような親で、常に子供の上でヘリコプターが旋回しているような状態で、何かあれば、すぐに下りてきて助けてあげるようなイメージです。 tiger moms というのは、特に、中国系の母親などが、教育熱心で、友人と過ごす時間を制限したり、毎日習い事をさせるような教育ママのことです。 そして、昨日フォックスニュースの記事の中で、lawn mower parents という言葉を見つけました。 次のような親のことを言うそうです。 Lawnmower parents go to whatever lengths necessary to prevent their child from having to face adversity, struggle, or failure. (芝刈り機親というのは、子供が、苦労したり、もがいたり失敗することを防ぐため必要などんなことでもするのです。) さらに、次のように書かれていました。 Instead of preparing children for challenges, they mow obstacles down so kids won’t experience them in the first place. (子供に難しいことへ挑戦させるよう訓練するのではなく、彼らは、子供がそれらを経験せずにすむように、最初に障害物を刈り取ってしまう。) lawn mower は、一語で書くことも二語で書かれていることもあります。 過保護な親のことを、lawn mower (芝刈り機)というのは、おもしろい表現ですね。 親としての責任もあり、そういう親の気持ちも分かりますが、子供には、ときには、雑草の中をかき分けて進んで行けるような、たくましさを持ってほしいものだと思います。 まさに、可愛い子には旅をさせよということでしょうね。
几帳面な兄と、だらしない弟というように、同じ兄弟でも性格が全然違う場合がありますね。 よく使われる「(人が)几帳面な」という意味の methodical という単語があります。 methodical は、もちろん method の形容詞形ですね。 method は、「方法」という意味もありますが、「物事の順序、筋道、秩序」などの意味もあり、methodical は、「順序、秩序だった、整然とした」ということで、orderly とも置き換えることができます。 methodical investigation (順序だった調査)のようにも使えますが、人が主語となる場合は、「几帳面な」という意味になります。 物事を順序立てて考えることができるということが、几帳面なということになるのでしょうね。 methodical と同じようによく使われる言葉として、organized もあります。 She is very organized. (彼女はとても、きちんとしている。)のように言えます。 organized も、頭の中が、きちんと整理されているという感じでしょうね。 そして、その反対は、disorganized です。 これも、次のように、人にも物にも使えます。 She is disorganized. (彼女は、整理整頓ができない。) His desk is disorganized.(彼の机は散らかっている。) method、order (順序)やorganized (組織だった)という言葉から、人が几帳面な、きちんとしたという意味へと広がっていくようですね。
犬などに「口輪をはめる」という muzzle という単語があります。 muzzle は、「動物の鼻口部、鼻ずら」や、「銃口」という意味もあります。 フランス語の museau (動物や魚の鼻面)や、ラテン語の morsus = bite (かむ)と関連する言葉です。 そして、この muzzle を比喩的に使った表現を発見しました。 先日の、全米オープンの決勝戦で、セリーナ ウィリアムス選手が、試合中にコーチから指導を受けた(規則違反)ということで、ポイントを失ったことに対して、審判に抗議した件です。 彼女は、指導を受けていないと言いますが、コーチは、指導をしたということを認めているようです。そのことに対して、次のような文がありました。 Navratilova suggested a 'soft warning' before the real warning so that the player has a chance to 'muzzle ' the coach. (ナブラチロワは、選手が、コーチを黙らせる機会を得るために、本当の警告前に、少し軽い警告をすればどうかと提案した。) 犬がかんだり、吠えたりしないように muzzle をつけるように、muzzle を動詞で使うと、「人に口止めする、新聞などの報道を封じる」という意味があるようです。 ウィリアムス選手のコーチは、口頭で指導していたわけではありませんが、少し大げさな表現になっているようです。 もし、審判が軽い警告をしていたら、ウィリアムス選手が、試合中には、指導するようなジェスチャーをしないでほしいと、コーチに注意することができたということです。 muzzle は、口輪をはめられたように、話せなくするという意味でも使える言葉のようです。
全米オープンで優勝した大坂なおみ選手についてのニュースを見聞きしていると、彼女について、humble and serene (謙虚で穏やかな)のように述べられていることがありました。 謙虚というと、modest という単語もありますが、humble と、どのような違いがあるのでしょう。 まず語源を見ると、modest は、mode や measure (尺度、基準)に合ったということから、moderate (適度な、節度のある)ということにもなり、「控えめな、謙遜した」という意味へとつながるようです。humble の方はどうでしょうか。 こちらは、ラテン語 humus = earth (地面)ということで、文字通り、低い所を意味するようで、地にひれ伏すイメージがしてしまいます。 「服従的な、従順な」感じがこもった、謙虚さのようです。 modest も humble と重なる部分もあるのでしょうが、humble の方が、内面的な謙虚さを示す感じでしょうか。 全米オープンの決勝戦では、ちょっとしたドラマがありましたが、大坂なおみ選手が尊敬するセリーナ ウィリアムス選手への思いや、彼女のファンへの気遣いも忘れず、表彰式でのスピーチはとても humble でした。 この謙虚さが、世界中で好印象だったようですね。 内面的な謙虚さは、純粋で美しく、多くの人の心に感動を与えたようです。
小さな針穴に糸を通すのは、難しいことですね。 針に糸を通すということを、英語で言いたいときに、どんな文を考えるでしょうか。 日本語的に考えると、「針」と「糸」と「通す」に分けて考えがちかと思います。 英語でも、次のように言えます。 put a thread through a needle でも、もっと短く、次のように使われているのを何度か耳にしたことがあります。thread a needle ここでは、thread が、動詞で使われていて、「(針に)糸を通す」という意味になります。 thread と言えば、まず「糸」と覚えますが、このように動詞で使われるのを最初に聞いたときは、とても簡潔な言い方だなあと思い、新鮮な感じがしました。 辞書を見ると、thread には、他にも、「縫うように進む」という意味もあるようですが、名詞として覚えた単語を動詞としても使いこなすのは易しいことではありませんね。 thread a needle という表現も、決して自分では思いつかなかったとても英語的な言い方だなあと思います。