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unqualified は、「資格がない」だけではない

私がよく知っている unqualified は、「資格のない、無資格」という意味で、次のように使われます。

You are unqualified to teach at a public school.
(あなたは、公立学校で教える資格がない。)

ところが、次のような、unqualified を、新聞記事の中で見つけました。

セリーナ ウィリアムスが、試合中に審判に暴言を吐いたことについてのもので、かなり古い記事で失礼します。

Refuse to officiate Williams' matches until she has issued an unqualified apology to Ramos.
(ウィリアムスが、ラモスへの全面的な謝罪をするまで、彼女の試合の審判を務めることを断りなさい。)

このような unqualified は、「全面的な、制限のない、まったくの」という意味で、complete と同義語です。

「資格がない」というのは、理解しやすいのですが、「制限がない、まったくの」というのは、どういうことか、少し悩んでしまいました。

調べてみると、qualify は、もともとは、「何かに particular quality = 特別な性質を持たせる」という意味で、limit = 制限するという意味へと広がるようです。

制限するという意味に、否定の un が付いて、「制限のない、まったくの」という意味になるわけですね。

そして、qualify には、「particular quality necessary = 必要な特別の性質を与える」 という意味が加わり、資格を与えるという意味へとつながるのでしょう。

スポーツでは、qualifying match は、「予選」のことで、決勝へ進むための資格を得る試合ということですね。

qualifier は、「有資格者」以外に、「予選通過者」という意味もあります。

そして、disqualify は、「失格させる」ということで、資格を奪うということです。

言葉は、広がっていくものですね。。


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ピアノの連弾と伴奏

先日、息子の学校で、音楽を選択している生徒のリサイタルがあり、見に行ってきました。

ピアノやバイオリン、トランペット、トロンボーンなどの楽器の演奏があり、中には、かなり高いレベルの生徒もいて、感動しました。

ピアノをソロで弾く生徒もいれば、連弾の生徒もいました。

念のために、連弾とは、ひとつのピアノを二人で弾くことですね。

連弾を英語では、four hands と言い、 プログラムには、4 Hands と書かれていました。

これは、分かりやすいですね。 二人で弾くので、4つの手ですね。

では、piano duet は、どうでしょう。

こちらは、ピアノのデュエット、二重奏です。

二重奏は、ピアノが一台の連弾の場合と、ピアノが二台の場合とあるようです。

また、トランペット奏者の、伴奏としてピアノを弾く生徒もいました。

ピアノ伴奏は、piano accompaniment と言うようで、言われてみれば、納得するのですが、なかなか自分では、思いつかない表現です。

伴奏者は、accompanist なんですね。

accompany が、「一緒に行く、付随して起こる」などの意味があるので、次のように、「伴奏する」という意味で使われるのも、よく分かります。

She accompanies her on the piano.
(ピアノで、彼女の伴奏をする。) 

私も、小さいころ、ピアノを習ったことがありますが、長続きせず、楽器は、何もできないので、専ら鑑賞するのみです。

すてきな演奏を聴きながら、英語の勉強にもなりました。


写真の引き伸ばし

日本の風景の絵葉書を、海外の友人に送ることがあるのですが、先日、ひとりの友人から、とてもきれいで気に入ったので、写真を引き伸ばすつもりだという、お礼のメールが届きました。

下記は、その中の一文です。

I am thinking of getting it blown up and sticking it in a frame.
(私は、それを引き伸ばして、フレームに入れようと考えています。)

blow up には、enlarge と同じで、 「写真を引き伸ばす」という意味があり、よく使われる表現なのですが、私はいつも、この blow up と聞くと、つい、「爆破する」という意味が、先に頭に浮かび、写真が粉々になってしまうイメージがしてしまいます。

They blew up the building to pieces.
(彼らは、その建物をこっぱみじんに破壊した。) のようにも使われますね。

そして、blow up balloons は、「風船をふくらませる」ことですが、blow up には、「風船やタイヤなどに、空気やガスを入れてふくらませる」という意味もあります。

風船をふくらませる前は小さいですが、空気を入れると、大きくなるのと同じように、写真を拡大するということになるのかなあと思います。

ついでに、blow には、「好機などをへまをして台なしにする」という意味があります。

Don't blow it.
(へまをして、チャンスを、逃さないように。)

へまをしてしまったなあ、失敗したなあ、という場合は、I blew it. です。

blow の原義は、吹く、ふくらませるということですが、そこから、写真の引き伸ばしのような拡大の意味や、爆破、失敗の意味まで、幅広い言葉だなあと思います。


hands up と hands down

Hands up ! は、警察などがよく言うフレーズで、「手をあげろ。」ということですね。

また、Hands up. をやさしい口調で言うと、分かる人は、手をあげてください、というような場合の、「挙手をお願いします。」という意味もあります。

では、hands down は、どうでしょう。

先日、新聞記事の中で、hands down という表現が、使われていたのですが、その新聞を捨ててしまって、手元になくなってしまったので、辞書の中から例文を拾ってみます。

She could win any race hands down.
(彼女は、容易にどんなレースでも勝てる。)

It is hands down the best movie of the year.
(それは、明らかに、その年の最高の映画だろう。)

hands down は、「容易に」という意味と、「明らかに、疑いなく」のような意味があります。
easily、effortlessly、without doubt などと同義語です。

hands down というと、手を下にするということですが、どうしてこのような意味があるのでしょう。

語源辞書を見ると、競馬に関連する表現のようです。

レースに勝つためには、手綱を締めないといけませんが、レースの後半に勝ちが決まったときや、楽勝できる場合は、手綱をゆるめ、手を下へおろすというところから生まれた表現のようです。

手を up か down かによって、意味は全然違うものですね。


シャンデリアには、こんな意味があった

息子の学校から送られてくる読み物の中に、思春期の子供の不安を示す8つの項目について書かれたものがありました。

1. Anger (怒り)
2. Difficulty sleeping (睡眠不足)
3. Defiance (反抗的な態度)
4. Chandeliering (シャンデリアリング?)
5. Lack of focus (集中力の欠如)
6. Avoidance (回避)
7. Negativity (消極的、否定的)
8. Overplanning (過剰計画)

なるほどなあと読んでいたのですが、4つめの Chandeliering という言葉が、ひっかかりました。

シャンデリアというと、照明器具としてしか通常は知られていないと思うのですが、精神医学分野の言葉としても使われるようです。

まだ、それほど知られていないのか、正式な語として認められていないのかどうか分かりませんが、chandeliering とタイプすると、誤りだという下線が付いてきます。

下記は、Chandeliering の説明文の一部です。

Chandeliering is when a seemingly calm person suddenly flies off the handle for no reason.
(シャンデリアリングとは、一見すると穏やかに見える人が、突然理由なくキレてしまうことです。)

特にそれまでに、傷ついたり、心配ごとなどを隠していた人が、ちょっとしたひとことや、できごとなどで、シャンデリアまで届いてしまうほど、爆発してしまうことという意味のようです。

chandelier は、candle を意味する言葉ですが、もともとは、キャンドルがたくさん並んだものだったのですね。

シャンデリアが高いところにあるということでしょうが、優雅なシャンデリアのイメージとは違いますね。

どうしてシャンデリアという語が使われるようになったのかは、よく分かりません。

また、上記の文中の fly off the handle は、よく知られている慣用句です。

斧を振り上げたときに、斧の先が抜けて飛び出すことから、「人が急に怒り出す、キレる」という意味になるようです。
斧で木を切ろうとしている人が、斧の先が抜けて、切れなくなって、腹が立つイメージですが、切れなくなって、キレるというのも、おもしろいですね。

chandeliering というのは、単にキレるのではなく、それまで我慢していたり、隠していた感情などがあり、それが何かのきっかけで爆発するイメージです。

シャンデリアまで届くほどの怒りは、ためない方がいいですね。 親は、子供の出すサインを、きちんと受け止めたいものですね。


rice and beans

少し前に、thrift (節約) や minimalism (最小限主義)についての新聞記事を読みました。

thrift store といえば、「リサイクルショップ」のことですね。 アメリカでは、Goodwill store と言うことが多く、不要になったものを寄付することもでき、私も、日本へ引っ越す前に、多くのものを寄付しました。

この節約に関する記事の中で、次のような表現がありました。

I need to live on rice and beans to get out of my debt.
(借金から抜け出すために、米と豆を食べて暮らさなければけない。)

rice and beans と言えば、ラテンアメリカの国々の主食で、次のような文例もあります。

The staple foods in Brazil are rice and beans.
(ブラジルの主食は、米と豆です。)

この新聞記事の rice and beans は、安い食品の例えとして使われていますね。

アメリカでは、メキシコ料理も人気ですが、欧米人にとっては、rice and beans は、節約するための食品と考えられることがあるのでしょうね。

私は、精進料理が好きで、お米や豆、玉子、豆腐などで、満足し、節約目的ではなく、喜んで、rice and beans を食べています。

確かに、お米や豆は、お肉に比べると、安いですが、丹波の黒豆(全国的に知られているのかどうか分かりませんが)など、高価な豆もありますね。

それに、ぴかぴかの日本の新米は、それだけで、ごちそうですね。 

所変われば品代わる、と言うように、rice という言葉ひとつ取ってみても、全く同じものを意味するとは限らないですね。

rice and beans は、節約目的だけではなく、健康にもよい、おいしい食品だと思います。


仲間意識

息子の学校のスポーツイベントの際、校長先生の挨拶文の中で、次のような文がありました。

Camaraderie within your own team and with other teams will be an important part of the tournament.
(自分のチーム内の仲間意識や他のチームとの仲間意識ということが、トーナメントにおいての重要な一部分です。)

そして、その後に、次のような文が続きます。

Please take advantage of this opportunity to develop positive relationships with new friends.
(どうか、この機会を利用して、新しい友達との前向きな関係づくりをしてください。)

camaraderie は、フランス語も同じで、カマラドゥリのように発音します。

camaraderie とは、次のような定義が載っています。

spirit of good friendship and loyalty among members of a group
(グループのメンバー間のよい友情関係や忠実な精神)

また、「仲間意識、友情、仲間づきあい」のような訳が載っています。

友情の中でも、特に一緒に勉強したり、働いたり、スポーツなど、体験を共有する中での信頼や友情関係ということです。 そのような仲間意識のことです。

上記の校長先生の言葉は、同じスポーツをするもの同士、勝っても負けても、皆、仲間意識を持ってほしいということですね。

ところで、camaraderie の基になった語、camarade というフランス語はありますが、英語では、comrade となり、スペルが違います。

camarade 、comrade には、「仲間」ということから、苦労などを共にする「同志」という意味が含まれます。

フランス語で、camarade de combat、英語で、comrade in battle は、「戦友」です。 また、camarade / comrade は、共産圏の国の党員の意味としても使われるようです。

ついでに、comrade の語源は、ラテン語 camera = 丸天井の部屋 ですが、仲間というのは、同じ部屋を共有するということのようです。

カメラも、「丸天井の暗い部屋」ということが原義ですね。

スポーツの合宿をするというのは、まさに camaraderie を深めるためというところでしょうか。

合宿で、仲間意識を深め、結果的に、スポーツも上達するのかもしれません。。


feel bad か feel badly か

何か残念なこと、気の毒なことが起こったとき、例えば、テストの点が悪くて落ち込んでいる生徒を見て、I feel bad for him. (私は、彼が気の毒に思う。)のように言うことがあります。

feel bad は、よく耳にする表現ですが、feel badly と言う場合もあります。

先日のブレット カバノー氏の性的暴行疑惑の記事の中で、トランプ大統領が次のように言われたと載っていました。

I feel so badly for him. This is not a man who deserves this.
(私は、彼のことをとても気の毒に思う。 この人は、こういう目に遭うような男ではない。)

そして、同じ記事の中に、feel bad を使った次のような文もありました。

More recently, he felt bad for Paul Manafort.
(もっと最近では、彼は、ポール マナフォートが気の毒だと思っていた。)

ポール マナフォートは、トランプ大統領の選挙対策本部長を務め、ロシアの干渉の件などで起訴された人です。

このように、feel bad も feel badly も使われるわけで、どちらかが正しいというわけではないようです。

ただ、feel、 look、 smell、 soundのような動詞には、通常は形容詞が付きますね。

It smells bad / delicious. であって、× It smells badly / deliciously. とはなりませんね。

では、次の場合はどうでしょう。

I feel good.

I feel well.

well の方は、「体調がよい」ということですが、good の方は、「体調がよい」 + 「気分がよい」ともなりますね。

同じように、feel bad は、気分が悪いなどの体調的なことで、feel badly は、残念に思うなどの感情的なことのように使い分ける場合もあると説明する辞書もありますが、上記のように、どちらも感情的なことに使われることがあり、そうとも限らないようです。

また、feel badly は、feel bad よりも、くだけた言い方だという説明もあり、feel badly の方が、ちょっと大げさな響きもしますが、どうなのでしょうね。

単に、feel を一般動詞と見て、副詞を付けるか、SVC構文の連結動詞として、形容詞を付けるかという文法的な違いだけなのかもしれません。

私は、正統派だと思われる feel bad の方を使うことが多いのですが、feel badly も、大統領も使っていることを考えると、違和感を感じる必要もないのでしょうね。

feel bad と feel badly は、どちらでもよく、smell delicious が正しく、smell deliciously だとおかしいというのは、ちょっとひっかかるのですが、言葉というのは、多くの人が使い出すと、それが正統派になってしまうということもありますね。

いろいろとりとめのないことを書きましたが、これからも、頭を柔軟にして、言葉の使われ方を観察していきたいと思います。


男性への同情 himpathy

先日、アメリカの最高裁判所判事に、わだかまりが残りつつも、ブレット カバノー氏が承認されました。

彼は、学生時代の性的暴力疑惑が持ち上がっていたのにもかかわらず、トランプ大統領は、彼に同情するような発言をしていました。

関連の新聞記事の中に、次のような文がありました。

Mr. Trump is manifesting what I call "himpathy" - the inappropriate sympathy powerful men often enjoy in case of misogynistic behavior.

(トランプ氏は、himpathy と私が呼ぶことを明白に示している。 himpathy とは、女性蔑視的な行為に対して、権力のある男性がよく享受する不適切な同情のことだ。)

簡単に言うと、himpathy とは、性的暴力などの女性蔑視的な行為が起こったときに、世の中が、被害者の女性よりも、権力のある男性の方の肩を持つということです。

himpathy とは、もちろん、him + sympathy で、コーネル大学の Kate Manne 哲学教授の造語のようです。

私はこの疑惑についての全容を知らないので、何とも言えませんが、この被害者の女性が、権力のある男性に対して、勇気を持って告発したことは立派だと思います。

himpathy のような言葉が生まれないような社会を目ざしたいものですね。


ムラがある

Spot という名前の犬の子供の絵本シリーズがありますが、spot というのは、「斑点」など、たくさんの意味がありますね。

そして、spotted は、そのような「斑点がある、まだらな」という意味です。

black-and-white spotted cow (黒白がまだらな牛)のように使えます。

では、spotty は、どうでしょう。

spotty も、spotted と同じく、「斑点がある、斑点で覆われた」のような意味もありますが、次のように使われることもあります。

School wi-fi is available in most areas; connection sometimes spotty.
(学校のWi-Fiは、ほとんどの場所で利用できますが、接続にムラがあることがあります。)

インターネットで、たまに接続が途切れることがありますね。 それを spotty という一語で表せます。 

spotty には、「ムラがある、一貫性がない、不規則な、断片的な」などの意味があります。

ムラを漢字で書くと、「斑」ですが、spotty は、目に見える斑点だけではなくて、インターネットの接続のような見えない spot (ムラ)のことも意味するわけですね。

他の例では、spotty reporting of the local newspaper というと、その地方紙の記事には、ムラがあって、よい記事もあれば、よくない記事もあるということです。

そこで、「気分にムラがある / ない」という表現を思い出しました。 でも、気分のムラに関しては、spotty は、使われず、気分にムラがある人は、moody のように言われます。

spotty は、何か、仕事や質の面で一貫性がない場合に使われるようですね。 知っていると、ちょっと便利な一語かもしれません。


お知らせ
プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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