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はらわたが煮えくり返る

ものすごく腹が立ったと言いたい場合、I was so mad. や I was furious. などと言えばよいのですが、オンラインの記事を読んでいて、次のような表現もあることを発見しました。

オバマ元大統領が、政治的に異なる意見を聞くことは、民主主義には絶対必要なことだと述べている中で使われていました。

If you are a fan of Glenn Beck or Rush Limbaugh, try reading a few columns on The Huffington Post website. It may make your blood boil, your mind may not be changed........

(もしグレンベックやラッシュリンボーのファンなら、ハフィントンポストのウエブサイトのコラムを少し読んでみたらどうだろう。 それで、はらわたが煮えくり返るかもしれないし、考えが変わらないかもしれない.......

日本語では、煮えくり返るのは、「はらわた」ですが、英語では、「血」なんですね。 

boil という単語も、料理で使う、「沸かす、ゆでる」などだけではなく、「怒りで煮えくり返る」のようにも使えるようです。

激怒することを、「血が逆流する」などとも言いますが、boil を辞書で引くと、「(血などが)煮えたぎる」という訳も載っており、日本語においても、「血」も「はらわたと」同様に、煮えくり返るものなのですね。

政治的なことだけではなく、日常生活においても、つい自分と同じ考えをもつ人たちといると安心し、そうではない人たちを敵視しがちですが、まじめに異なる意見に耳をかたむけて、激怒して、議論し合うことは、大事なことかもしれませんね。


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貧民街の高級住宅化

大阪で2025年の万博が開催されることになり、うれしく思っている人がいる中、落胆している人もいるようです。

日本語の新聞のオピニオン欄で、次のような一文を見つけました。

関西一帯で、ジェントリフィケーション(gentrification = 高級化)が、なされるだろう。

これを書かれた方は、大阪 釜ヶ崎で、ホームレス支援の活動をされているようで、万博開催にともなう町のクリーン作戦の一環として、ホームレスの人たちが、排除されないか心配されているようです。

gentrification のような難しい言葉が、日本語の中で使われるんですね。 ちょっとびっくりしました。

gentrification とは、「貧民街の高級住宅化」ということで、英語で次のような説明が載っていました。

When people with money start fixing up poor neighborhoods, that’s gentrification. Sounds great, except it usually means the poor residents can’t afford to live there anymore and have to move

(お金がある人たちが、貧民街を立て直し始めることが、ジェントリフィケーション = 高級化だ。すばらしいことのように思えるが、それは、通常、貧しい人たちが、そこに住めなくなり出ていかなければいけなくなるということだ。)

gentry とは、英国の royalty (王族)、nobility (貴族)に次ぐ、「紳士階級」ということです。

gentrification は、そのような身分の高い人にふさわしいようなものをつくるということで、「高級化」という意味になるようです。

東京オリンピック、大阪万博と、国や町が活気づく裏で、このような社会問題が生じることもあるのでしょうね。

ジェントリフィケーションのように、そのまま英語をカタカナ語にするのには、何かルールがあるものなのでしょうか。 日本語に訳しにくい場合もあれば、なんらかの効果をねらって、そのままにしておく場合もあるでしょうね。
一度、カタカナ語について調査してみたいとは思いますが、そんな時間もなく、日々明け暮れています。。

はたき込み

前回、相撲部屋について書きましたが、相撲の決まり手にもいろいろありますね。

これらを英語で聞くのも、おもしろいものです。

主なものは、次の通りです。

forcing out (寄り切り)
pushing out (押し出し)
lifting out (つり出し)
an overarm throw (上手投げ)
an underarm throw (下手投げ)

その中で、slapping down という決め手がありますが、これは、「はたき込み」となるようです。

slap は、「ぴしゃりとひっぱたく、平手打ち」などの意味があり、英語でこの決め手を聞くと、あまり真剣勝負という感じがせずに、家族で笑いながら聞いています。

ところで、「はたく」と「たたく」は、どちらも同じ漢字、「叩く」なんですね。

私は、はたき込みだと思っていましたが、たたき込みでもいいようです。

埃をはたくと言うように、たたくよりも、はたくの方が、軽くはらうような感じがします。 
slap は、ぴしゃっと音がするようなたたき方ですが、はたくは、埃のような音がしないようなものをはらうのにも使える言葉ですね。

埃をはたくための掃除用具で、「はたき」がありますが、これは、英語では、duster ですが、はたくは、dust という意味にもなりますね。

相撲の決め手、はたき込みの定義は、次の通りです。

突き合い、押し合い中、相手が不用意に出てきたとき、さっと体を右 (左) へ開きながら、右 (左) 手のひらで相手の肩か背中をはたいて前へ落とす。

「はたく」と「たたく」の違いは、論文にでもできそうなほど興味深いものですが、とても深い内容になってしまうので、ここでは、ふれないことにしますが、たたくという打つ行為の中に、はたくということが含まれるのではという考えもあるようです。
ということは、ちょっと特殊なたたき方が、はたくなのでしょうか。

いずれにしても、slap の訳としては、「はたく」でも「たたく」でもよいということですね。


相撲部屋

NHKニュースを英語で聞くことがありますが、スポーツニュースの中で、大相撲九州場所で初優勝した貴景勝のことが伝えられていました。

貴景勝は、師匠の貴乃花が引退したので、所属部屋を変更したようですね。

相撲部屋には、stable という単語があてられています。

Takakeisho entered Takanohana stable.
(貴景勝は、貴乃花部屋に入った。) のように言えますね。

stable と聞くと、つい「馬小屋、馬屋」を先に思い浮かべてしまい、馬小屋と相撲部屋が同じというのも、どうなのかなと思います。

なんとなく力士を動物と同じようにとらえているイメージがしてしまうのですが、stable は、馬や家畜小屋という意味だけではなく、次のような意味もあります。

a group of people (such as athletes, writers, or performers) under one management
(ひとつの経営管理に属するアスリート、作家、役者などのグループ)

「同じ会社などに所属している人の集まり、また、そのような人を集めて訓練する場所」ということのようで、そういう意味では、stable が、「相撲部屋」だというのは理解できますね。

ついでに、形容詞の stable は、「安定した」という意味がありますが、これは、stand + able = じっと立っていられるということが原義のようで、相撲部屋の stable とは、別の語として考えた方がよさそうです。

余談ですが、欧米人などが、日本の家のことを、rabbit hutch (うさぎ小屋)に例えることがあります。
アメリカでも、大きいだけがよいことではないという傾向もあり、せまいスペースで効率よく暮らすのも悪くないと感じている人もいるようです。
アメリカにいたころは、掃除機をかけるのも、朝から気合を入れてやっていましたが、日本では、楽にできるのでうれしく、小さい家も悪くないと思います。

うさぎ小屋と馬小屋、使われ方はかなり違うものだと思いました。

リテラシー

オンラインのニュース記事を読んでいると、次のように、literacy という語が使われていました。

We must teach emotional literacy to boys.
(私たちは、男の子たちに、エモーショナルリテラシーを教えなければいけない。)

emotional literacy は、辞書には、「エモーショナルリテラシー = 感情制御知識」となっています。

literacy は、「読み書き能力」という意味と、「特定の分野の技能、知識、能力」という意味があり、読み書き能力だけではなく、computer literacy (コンピュータ知識)のようにも使われますが、emotion にも使われているのは初めて気づきました。

リテラシーと、かたかなの訳もありますが、どこまで日本語に浸透しているのでしょう。

emotional literacy とは、自分の感情をよく理解したり、他の人の気持ちを聞いたり、その人と同じように感じることができ、うまく感情を表現できるような能力のことです。

記事の中には、このような能力は、男の子には苦手な分野だということが書かれていました。

A recent poll of American adolescents found most boys feel pressured to be strong and many feel they are expected to hide their emotions when they are sad.

(アメリカの青年の最近の調査で分かったことは、男の子は、強くあるべきだとされ、また多くは、悲しいときも自分の感情を出さないようにするべきだと感じていることだ。)

昨日の記事で、toxic masculinity についてふれましたが、男性の特質を有害だとする考えもあれば、男らしくいるべきだと感じている若い男の子たちがいるわけですね。
どうしても社会の規準に従ってしまうところがあるのでしょうが、男女問わず、自分の感情をうまくコントロールできることは、学習においても役に立つことのようです。

自分の内面を見つめ、深く理解することで、読んだり、書いたり、考えたりすることがより洗練されたものになるとのことで、教育の面でも、emotional literacy は、大事なことのようです。

literacy というのは、いろいろな分野の ability (能力) や knowledge (知識) を持っていること、また使いこなせるようにすることとも言えそうですね。


オックスフォード辞書今年の単語

オックスフォード辞書の2018年の単語は、toxic だと発表され、その記事を読みました。

もともとは、「有毒な」という意味ですが、その後、比喩的に「不快な」という意味が生まれ、深くて目に見えない有害なものについて述べるのに toxic が使われますが、次のような言葉と一緒に出てくることが多いようです。

Chemical (化学薬品)
Masculinity (男らしさ)
Substance (物質、薬物)
Gas (ガス、気体)
Environment (環境)
Relationship (人間関係)
Culture (文化)
Waste (廃棄物)
Algae (藻)
Air (空気)

化学的なものから人間関係などを表すにも、このような toxic が使われ、いろいろな状況で使用頻度が増してきたようです。

toxic masculinity のように、男らしさなども、toxic を使って表されることが多かったようです。
男らしく、女らしくという時代ではなくなってしまったのか、深い問題です。
性的虐待などの件も関連するのでしょう。
男らしさの定義の問題もありますね。

でも、どうして、toxic が選ばれ、poisonous ではないのかとも書かれていました。

poison は、へびの毒などの自然界に存在するものが多いが、toxic の方は、もっと unnatural (自然に反する、自然ではない)で、どこか mysterious (神秘的)なものが存在する感じがするということで、なんとなく分かるような気がします。

以前、私も、toxic について書きましたが、その記事は、こちらです。

それにしても、toxic が、今年の単語として選ばれるということは、人々が、今年は toxic なことが多かったと感じている表れなのでしょうね。

来年は、もっと明るい単語が、選ばれてほしいものです。


deem と consider

日常の会話では、ほとんど聞くことのない deem という語が、息子の学校の先生からのメールで、次のように使われていました。

As always, I would like to extend an invitation to meet with me and discuss your child's progress in chemistry, if you deem it necessary.

(もし必要だと判断されるなら、いつものように、化学においてのあなたの子供の上達度について、話をする場を持ちたいと思っています。)

deem は、consider や judge と同じような、「考える、見なす、判断する」という意味で、consider や judge よりも、文語的で、フォーマルな語のようです。

少し調べてみましたが、それ以外は、これといった大きな違いは、分かりませんでした。

deem は、判断を下すという結果的な、点的な判断で、consider の方が、もうちょっと線的な判断のようにも感じられますが、私がそう感じるだけかもしれません。

I consider. と言うと、時間をかけて考えるということですね。 そのような考えている過程を含めた感じが consider の見なすということで、deem は、考えた結果、判断するという感じかなあと思ったりもしますが、どうなのでしょうか。

はっきりとした違いは分からなくても、いろいろと考える過程が楽しく、また、今後も deem の使われ方を観察していきたいと思います。


ルーベンスの絵の女性

ルーベンスと言えば、バロック時代に、肖像画、風景画など、さまざまなジャンルの絵画を生み出した画家ですが、アニメの「フランダースの犬」で主人公のネロが、最後の力を振り絞って見た絵画の作者としても知られています。

このRubens (ルーベンス)という名前の形容詞 Rubenesque には、 「ルーベンスの絵に描かれている女性のように、美しく太った」という意味があると、夫から聞いたことがあります。

fat は、否定的な響きがありますが、Rubenesque は、そうとも限らないようです。

辞書を見ると、plump や rounded 「肉付きの良い、太り気味の、ぽっちゃりした、丸々した」という定義が載っています。

個人の好みもありますが、時代や土地柄などにより、太っていることが、美しいとされることもありますね。 

ファッションモデルのような美しさもあれば、Rubenesque のような美しさもありますね。

そして、My wife is Rubenesque. (私の妻は、ぽっちゃりしている。)と言うことも可能なわけですが、これをポジティブにとるか、ネガティブにとるかは、人それぞれでしょうね。

Rubenesque という語は、ルーベンスの描く女性を知らなければ、意味が理解できないように、言葉を学ぶということだけではなく、いろいろな分野に興味を持ち、幅広い知識を身につけることは大事なことだなあと思いました。

踏んだり蹴ったり

少し前ですが、デルタ航空の座席に、排せつ物が付いていて、その座席に座った人の靴などが、汚れたという、ひどいニュースがありました。

それに対して、フライトアテンダントの対応もまた、ひどいもので、ペーパータオルとジン(アルコール)を彼に渡し、拭きとるように言ったそうで、座席が消毒されることもなく、マネージャーも次のように言ったそうです。

If the cleaning crew didn’t do their job, that’s not my problem.
(清掃員が、きちんと仕事をしなかったのは、私の問題ではない。)

自分の仕事の範囲を超えることは、しないという態度は、アメリカではよくあることで、私も、カスタマーサービスには、期待しないようにしていました。 

それにしても、デルタ航空の対応は、あんまりですが、あげくの果てに、もう飛行機の出発時間なので、着席するか、飛行機から降りるか決めてくれと言われたそうです。

結局がまんして、着席して目的地に着き、結末は次の通りです。

At the end of the ordeal, Delta offered him 50,000 free miles, but, to Meehan, the offer only added insult to injury.
(その苦しい体験の最後に、デルタは、彼に、50,000フリーマイルを申し出たようだが、ミーハンにとっては、さらに、屈辱を加えただけであった。)

add insult to injury は、「ひどい目にあわせた相手に、さらに屈辱を加える、踏んだり蹴ったりの目にあわせる」という意味です。

排せつ物で、汚れたあげくに、ひどい扱いを受け、賠償としても、50,000マイルほどしか申し出ないということで、本当に気の毒な話で、踏んだり蹴ったりですね。

その後、どうなったかは知りませんが、訴訟を起すかもしれないとのことでした。

ところで、この add insult to injury ですが、もともとは、イソップの The bald man and the fly という話の中の言葉のようです。

ハエがはげ頭の男の頭を刺し、男がそのハエを殺そうとして、たたいたら、ハエは逃げて、はげ頭の男は、自分の頭をたたいてしまい、それを見て、ハエが男をあざ笑うという話です。

はげ頭の男性は、ハエに刺され (injury)、ハエにあざ笑われる (insult = 侮辱 ) ということから、重ねてひどい目にあうことを、このように言うようです。

このイソップの話は、仕返しをしようとすると、自分が痛い目にあうということのようですが、実は大きなテーマが隠された話ですね。

add insult to injury は、「泣き面に蜂」や「傷口に塩」よりも、もうちょっとシビアな感じがしてしまいます。。

猿の衣装

犯罪者が、メルセデスベンツに乗ったり、高級なスーツを着ていても、結局犯罪者には違いない、というような場合に、次のように言うのを聞くことがあります。

A monkey in a silk suit is still a monkey.
(猿が、シルクスーツを着ても、猿は猿だ。)

「どのように人が着飾っても、中身は同じ人だ。」ということですね。

そこで、思い出したのが、「馬子にも衣装」ということわざです。 そして、同じように、「猿にも衣装」というのも聞いたことがあります。

これらは、上記の英語のことわざとは、反対に、「どんな人でも、着飾ると、立派に見える。」ということですね。

馬子とは、馬に、人や荷物を乗せて運ぶことを仕事にしていた人で、そのような身分の低い人でも、すばらしい衣装を着ると、立派に見えるということです。

「馬子にも衣装」、「猿にも衣装」も、決して相手に対しての、ほめ言葉にはなりませんし、A monkey in a silk suit.....は、何を着ても、中身は同じだという本質を述べてはいるものの、相手に言う言葉ではありませんね。

一見、反対のことを言おうとしていることわざですが、焦点が、人であるか、すてきな衣装であるかが、違うだけなのかもしれません。

いずれにしても、猿や馬子には、少々失礼な表現なのではと感じてしまいます。。


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プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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