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無理をする

夫の叔母からのクリスマスカードが、昨日届きました。

クリスマスまでに間に合わなかった理由として、次のように書かれていました。

I'm sorry this is arriving so late. I've bitten off more than I can chew this year.
(このカードが着くのがとても遅くなってごめんなさい。 今年は、無理をしてしまいました。)

bite off more than one can chew は、 「噛めないほどの量をかじり取る」ということで、「自分の能力以上のことをしようとする、無理をする、背伸びする、手に余ることを企てる」という意味になります。

ちょっとがんばりすぎて、できそうもないことまで手を出してしまうようなことですね。

なので、叔母は、いろいろとがんばりすぎて、クリスマスカードが後回しになったという感じなのでしょう。

何かと忙しい年末には、無理をしてしまいがちですが、みなさん、どうぞおだやかに、よい新年をお迎えください。

この一年、ブログへのご訪問ありがとうございました。
私が訪問させていただいているブログからは、それぞれのセンスが感じられて、よい刺激をいただき、たくさんのことを学ばせていただいています。
心に響く言葉に出会ったときは、記憶に留めるためにメモしています。

また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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年の差カップル

先日、家族で、年齢差がある恋愛について話していたときに、May-December relationship という表現があるのを知りました。

これは、spring-winter relationship と言う場合もあるようです。

なんとなく理解できると思いますが、次のような説明文が載っていました。

a relationship between two people where one partner is in the "winter" of their life (old) and the other partner in the relationship is in the "spring" of their life (young)

(二人の恋愛関係で、一人が、人生の”冬”の状態、つまり年をとっていて、もう一人は、人生の”春”の状態、つまり若いということ)

男性、女性のどちらが、winter でも spring でもよいそうです。

May-December relationship も、May が、5月で春で、December が、12月で冬ということで、同じですね。 

人生の冬というのも、文学的なような、でも失礼なような感じがしますね。

あまり人前で使う言葉ではないのかもしれませんが、夫が、口走った表現をすかさずキャッチしてみました。

年齢差があれば、それなりの問題もあるのかもしれませんが、本人同士が幸せなら、それが一番なのではと思います。。

罰あたらへんえ(で)

昨日の新聞で、「罰あたらへんえ」という関西の言い回しについて書かれた記事を読みました。

末尾は、地域によって違い、大阪では、「罰あたらへんで」となるかと思います。

新聞には、次のように載っていました。

気が利かない人、気の回らない男、たとえば自分が使ったコップの片づけさえしない亭主に向かい、辛抱も限界の女性が、「片づけても罰あたらへんえ」と当てつけに言う。
角が立たない表現のようだが、じつは、「~しなさい」よりはるかにきつい見限る寸前の言葉。

「罰あたらへんえ」を英語で言うと、どうなるかなと考えてみました。

思いつくのは、It won't hurt to..... です。

It won't hurt to put it away.
(片づけてもいいんじゃないの。)

hurt は、直訳すると「害を与える、困ったことになる」という意味で、片づけても害はない、困ることではないということです。 

片づけるぐらいしてみたらどうかということで、こちらも、やわらかい表現のように見えて実は、当てつけがましい感じです。

オンライン辞書に、次のような例文もありました。

Would it hurt to say "Thank you"?
(減るもんじゃないんだから、「ありがとう」ぐらい言ったら?)  
この、「減るもんじゃないんだから」というのが、うまい訳だなあと感心します。

これは、It won't hurt to say "Thank you". と同じことを言おうとしていますね。

また、次のような言い方も、よく聞く表現です。

It won't hurt to ask.
(聞くぐらい聞いたら?)

これは、遠慮している人などに、聞くぐらいはいいんじゃないと、「~してもよい」という意味で使われていますが、直訳すると、聞いても害を与えることはないということですね。 

ここで、「罰あたらへんで」 と It won't hurt to は、まったく重なるとも言えないことが分かります。

聞いても罰あたらへんでは、聞いても罰はあたらないのだから聞くべきだということですが、It won't hurt to ask. は、別に害がないのだから聞いてみたらいいということなので、言おうとしていることは異なります。

なので、「罰当たらへんで」は、It won't hurt to とは、似かよった表現ぐらいと思っていた方がよさそうです。

息子は、この新聞記事を読んで、「片づけても罰あたらへんで」よりも、「片づけないと罰あたるで」の方がこわいと言いますが、どうでしょう。

「片づけないと罰があたるで」は、直接的で、そんなことはないと反抗できる余地がありそうですが、「片づけても罰あたらへんで」は、片づけるべきだと思わないのかと諭されているようで、従うしかないという感じがします。

はっきりと述べなくても、強力な言い方があるものですね。

真実に気づく

私のアメリカの友人の娘さんは、小学校に入る前から、サンタクロースは本当は、お父さんお母さんなのだと信じ、それを小学校に入ってから、クラスメートに言っていたそうです。

それで、彼女の母である私の友人は、担任の先生から連絡があり、娘さんは、とても smart だけれど、他の子供たちには、もう少し夢を見させてあげましょうと言われたそうです。

アメリカでは、忙しいサンタクロースのために、寝る前に、クッキーを用意しておいて、朝、起きると、そのクッキーがお皿からなくなっていて、サンタクロースが食べたんだと、子供たちは信じるわけです。 これは、もちろん親が寝る前に食べるのですが。

そこで、オンライン記事の中で、次のような文を見つけました。

At what age do children wise up to the truth about Santa ?
(子供たちは、何歳で、サンタについての真実に気づくのか。)

wise は、主に「賢明な」という意味ですが、wise up と動詞で使うと、「真実に気づく、真実を知る、賢くなる」のように使われます。

そして、wise up to で、「~に関しての事実を分かり始める、真実に気づく」ということです。

言われてみれば、分かりやすいのですが、なかなか自分では思いつきにくい表現のひとつだと思います。

また、ぼーっとしていて、なかなか気づかないときなども、Wise up! (気づいてくれよ。)のように使われることもあります。

また、wise up は、「正しいことを分からせる」という意味もあり、次のような例文もあります。

How do we wise up the kids before they get addicted?
(中毒になる前にどうやって子どもたちに分からせればいいのか。)

wise にも、いろいろな使い方があるものですね。

私は、友人の娘さんに、どうしてサンタクロースがいないと分かったのかと聞いてみると、友人が買ったクリスマス用の包装紙が、サンタクロースからのプレゼントに使われていたからということでした。 小さい子供も観察力があるようなので、友人は、もうちょっと気をつけて、クリスマスの準備をした方がよかったようですね。。


poppet とは?

クリスマスプレゼントを買うのは、ロイヤルファミリーも同じようで、イギリスのキャサリン妃もシャルロット王女を連れて、クリスマスショッピングへ行かれたというオンラインニュースを読みました。

買い物中に、床に座ってしまったシャルロット王女に、キャサリン妃が、次のように言われたそうです。

Get up, poppet.
(立ちなさい、かわいこちゃん。)

このような poppet は、アメリカでは聞かない表現ですが、イギリスで子供などに、親しみを持って言う呼びかけとして使われるようです。

アメリカでは、dear、sweetie、honey などが、イギリスの poppet に当たります。

poppet は、puppet (人形) にスペルが似ていますが、puppet の前の形だったようです。

ということは、poppet は、人形のようにかわいいということなのかと思いますが、poppet というのは、もともとは、魔術で使われた小さな人間の形をしたものということだったようで、ちょっと、わら人形のようなイメージで、かわいいというものでもないようです。

その後、小さくてかれんな人という意味ができて、親愛の表現として使われるようになったようです。

また、puppet は、「操り人形、指人形」という意味ですね。 

ついでに、人形と言えば、doll もありますが、これは、女性の名前 Dorothy の愛称 Dolly が語源のようです。

Dorothy という名前の女性が、人形のようにかわいい人が多かったのでしょうか。 女性の名前が人形という意味になるのがおもしろいですね。

そして、アメリカでは、魅力的な人を、She is a doll. のように言う場合もありますが、若い人は、あまり使わないようなので、ちょっと古い言い方かもしれません。

キャサリン妃は、シャルロット王女やジョージ王子にも、poppet と呼んでいるようですが、ウイリアム王子も、キャサリン妃のことを poppet と呼ぶそうで、微笑ましいですね。


親指のルールとは?

rule of thumb という表現を何度も聞いたことがあります。

例えば次のように使います。

Look both ways before crossing the street is a rule of thumb for pedestrians.
(歩行者が道を渡る前に左右を見るのは、経験的な常識だ。)

rule of thumb は辞書を引くと、「経験則、大体の目安」などと載っていますが、最も適切な和訳を考えるのが難しい表現だと思います。

rule of thumb は、正式な規則や法律などとは違いますが、実用的なルールということです。 また、理論ではなく、経験に基づくもので、helpful guideline (助けになるガイドライン、指針)ということですね。

約束した時間よりも少し早めに到着するようなことなど、決められたルールではないですが、経験から言うと、そうする方がいいというようなことが、rule of thumb です。

木こりが、長さを測るのに指を使ったことから、rule of thumb と言われるようになり、そういう意味で、だいたいの目安、やり方という意味があるようです。

ただ、ウィキペディア英語版には、この木こりの説以外に、夫が妻を殴るのに許されていた板の厚さが、親指の太さまでであったからという説もあるようで、なんだか恐ろしいですね。

そんな rule of thumb ですが、どんなことをするにも、役立つものですね。


badass について考える

品がよい言葉ではありませんが、息子を含め、高校生など若い人たちが使う badass という俗語があり、以前からちょっと気になっていました。

どのように使うのかというと、例えば、すごくかっこいい車のことを、badass car のように言います。

bad (悪い) + ass (お尻)で、どうして、「超かっこいい」なのでしょう。 

また、人のことを、badass というと、「恐ろしいほど優秀な」という意味にもなるようです。

bad と ass のようなネガティブなイメージのものを二つ続けて、それがポジティブになるのがおもしろいですね。 まるで、数学でマイナスとマイナスをかけるとプラスになるような感じですね。

ただ、badass は、ネガティブな意味もないことはないようで、オンライン辞書には、「たちの悪いやつ」という意味も載っています。

息子は、badass だけではなく、他にも、本来のネガティブな意味の逆の意味がある単語があると言います。。

sick という単語です。

「病気の」 という意味の sick も、俗語では、「非常によい」という意味になるそうで、次のように使えるそうです。

The party was sick.
(そのパーティは、めちゃくちゃよかった。)

ただ、これも、「非常に悪い」という意味にもなるので、会話をしているときに、その sick は、いい意味なのか、悪い意味なのかと確認する場合もあるようです。

なかなか紛らわしいものですが、俗語になると、意味が逆になるというパターンがあるようですね。

ふと思いましたが、日本語の「やばい」も、いつごろからか、若い人たちは、よい意味で使っていますね。

悪いことが、どこかかっこいいイメージでとらえられているのでしょうか。 おもしろい現象ですね。

私は、このような俗語を使って会話をする機会もありませんが、俗語がどのように使われているのかは興味深いものです。


cohort とは?

息子の学校の生徒の母親の一人でカナダ人の女性が、近所に住んでいるので時々話をします。

彼女と話をしていたときに、聞き慣れない単語を耳にしました。

彼女には、ハイスクールを卒業してカナダの大学へ行っている娘さんがいるのですが、その彼女の学年の生徒たちのことを、次のように言いました。

She and her cohorts had the highest grade in the history of the school.
(彼女と彼女の同級生の仲間たちは、学校の歴史の中で最も高い成績を残した。)

cohort という語は、初耳だったのですが、前後の会話から、classmate のことを言っているんだなと想像できたので、そこで会話は止めずに、家に帰ってから辞書を引いてみました。

cohort とは、「古代ローマの歩兵隊」という意味があり、300人ほどからなる隊員のことです。 そして、その後、アメリカ英語で、「仲間」という意味ができたようです。

group united in common cause (共通の目標のために団結したグループ)ということのようです。

息子が通う学校には、二年間の国際バカロレアプログラムがあり、そのプログラムに在籍する同級生の仲間という意味で、cohort という言葉が使われたようです。 

国際バカロレアの卒業証書を得るために、一緒にがんばっている仲間ということで、cohort は、classmate よりは、結束感が強そうなイメージがします。

また、cohort analyses (同世代分析) のように、cohort は、統計においての「同世代」という意味もあるそうです。
ついでに、分析は、単数形=analysis、複数形=analyses となります。

古代ローマの歩兵隊という語が、他の意味で、現在でも使われているのが、おもしろいですね。


糞虫

糞虫(フンチュウ)とは、その名前の通り、糞を食べる虫ということですが、奈良公園の鹿の糞を食べている糞虫について、テレビのニュースで伝えられていました。

糞虫は英語では、dung beetle と言うそうですね。

フンコロガシも糞虫のひとつですが、英語でも、dung beetle は、roller であり roll dung into round balls (糞を転がして、丸いボールのようにする)ということのようです。

dung は、「糞」ということで、牛の糞なら、cow dung ですね。 「糞やうんち」という poop という単語もありますが、普段の会話では、ちょっと遠回しに、droppings や waste などと言うこともあります。

dung には、もともと、manure, decayed matter used to fertilize soil (肥料、こやし、土地を肥やすために使う腐食物)という意味があったようです。

その dung を具体的に言うと、動物の糞ということになるのでしょうね。

奈良公園には、多くの鹿がいますが、その鹿の糞を、dung beetle が食べて、その食べかすは、土の中で養分になっているようです。

dung beetle のおかげで、奈良公園もきれいに保つことができ、土の中も豊かになり、自然の世界はすばらしいものですね。

今度、奈良へ行くことがあれば、足元に注意して、働き者の dung beetle を探してみようかなと思いました。。

外国語を勉強するということ

息子が、学校の先生に教わり、私に教えてくれたドイツの詩人で哲学者の Wolfgang Johann von Goethe の言葉があります。

He who does not know another language does not know his own.
(他の言語を知らない人は、母語を知らないということだ。)

なるほどと、同意する人もいれば、外国語を知らなくても、立派な国語学者もいるのではないかという反論もありそうですね。

母語だけで生活していると気づかないことを、外国語が気づかせてくれることは確かで、それによってより深く母語を知ることができ、より大きな言語の世界を楽しむことができるというようなことを言おうとしているのではないかと思います。

私にとっては、ひとつの言語、たとえ母語でもマスターすることは不可能で、どうせマスターできないなら、多くの言語を学び、いろいろな考え方を知りたいと思っています。 極めることが難しくても、少しでも上達するために、母語も外国語も並行して勉強していくのが理想なのではと思います。

以前、外国人に日本語を教えていたころに、日本語の語彙について、考えさせられることがたくさんありました。

例えば、窓を「開ける」と言い、窓を「開く」と言うと不自然なのはどうしてなのだろうかという質問です。 英語なら、開けるも開くも open ですね。

open という意味の中で、日本語には、開けると開くの使い分けがあるんですね。 

ものの開閉を平面的に行う場合は、「開ける」で、立体的に行う場合は、「開く」のような違いがあるようです。
(例: 傘を開く、ふすまを開ける、缶詰を開けるなど) 
もちろん、両方使える場合もあり、もっといろいろな分析もありますが、このように、外国語が母国語の人が、不思議に思うことから改めて日本語を深く考えるきっかけになることがあります。

外国語を学ぶことで、自然に学んだ日本語を、見直すことができるということで、上記の Goethe の言葉には、納得させられます。


お知らせ
プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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