前回 compliment と complement について書きましたが、書きながら、それぞれ、complimentary / complementary という形もあることを思い出しました。
complementary は、名詞、形容詞として、「補足する(もの)」 のように使われます。
complimentary は、形容詞として、「称賛の、挨拶の、お祝いの」という意味の他に、「無料の」という意味があります。
ホテルに泊まって、朝食が無料で付いているのは、complimentary breakfast です。
そして、興味深い記事を見つけたのですが、その中で、次のように書かれていました。
あるお店の貼り紙に、Complimentary holiday gift wrapping (クリスマスギフト包装無料) と印刷された文字があり、その上に、大きく手書きでFREE と書かれていたそうです。
complimentary を理解できない人のために、free という誰でも知っている単語を書いて念押ししている感じですね。
確かに、無料というと、まず free が浮かび、complimentary breakfast は、free breakfast と置き換えても全く同じです。
誰でも無料で何かもらえると、うれしいものですね。
街頭で配っているチラシだけなら受け取らなくても、ティッシュやうちわが付いていると、受け取ってしまいがちです。。
free と complimentary の違いについて、次のような意見もあります。
"complimentary" sounds more refined than “free,” but “free” is more powerful
(complimentary の方が、free よりも洗練されて上品に思われるが、free の方がより強力で効果を発揮する。)
確かにそうですね。 無料だと宣伝するのなら、分かりやすい強力な言葉を使った方がよいかもしれませんね。
私が気になったのは、complimentary の「称賛の」 という意味と 「無料」 という意味に、何か関係があるのだろうかということです。
complimentary には、次のように 「無料」 の定義が載っています。
given free as a courtesy or favor
(親切や好意として無料で与えられる)
無料であるのは、相手の好意からだということですね。
称賛したりほめたりすることも、親切、好意からすることなのでしょうか。 何かすばらしいことに対してほめるということは、それをやさしい親切な気持ちで認めるということなのかもしれませんね。
そして、何かが無料ということは、それにより販売向上などの目的があるとしても、誰かの親切、好意の結果だということをちょっと考えてみるのもいいかもしれませんね。
先日読んでいた資料の中で、ある単語のスペルの間違いに気づき、ネイティブの人でも混乱することもあるんだなあと思いました。
次のような文です。
Some recipes that include lamb or chicken often use mint flavoring to <誤> compliment the flavors of the meat.
(ラムや鶏肉を含むレシピの中には、肉の風味を引き立たせるのに、よくミント香味料が使われることがあります。)
compliment は、「ほめ言葉、称賛、敬意」 などの意味でよく使われる言葉ですが、上記の文では、ちょっと意味が通じませんね。
では compliment ではなく、どんな単語と入れかえればよいかというと、complement です。
発音はどちらも、コンプリメントと同じで、スペルも似ています。
何かほめてもらったときなどに、Thank you for the compliment. (ほめてくれて、ありがとう。)と返すように、compliment の方が、日常よく使われる語だと思うので、つい間違ってしまうこともあるかもしれません。
complement は、次のような定義が載っています。 -ment は、名詞として使われることが多いですが、このように動詞としても使われます。
complete or enhance by providing something additional
(何かを追加することにより完全にしたり高める)
和訳すると、「完全にする、補足する、引き立たせる、ぴったり合わせる」 のようになります。
compliment と complement を両方使った例文が載っていました。
If you feel you and your new friend complement each other, maybe it’s because he’s been giving you so many compliments like when he says you look like a supermodel.
(あなたとあなたの新しい友達がお互いにぴったり合うと感じるなら、それは多分、彼が、あなたはスーパーモデルのようだというようなほめ言葉を多くあなたに言っているからだろう。)
compliment も complement も語源は同じラテン語 complere で、complete = 完全にするということのようです。
パーフェクトな夫婦というのは、お互いに足らない部分を補足し合っているのかもしれませんね。
If they complement each other, they can be a perfect couple.
(彼らが、お互いに補完し合うなら、彼らはパーフェクトな夫婦になることができる。)
料理にせよ、人間関係にせよ、補って完全なものにしたり高めたりすることが complement ですね。 そして、完全なものに対して言うのが compliment なのかもしれません。
少し前に読んでいた記事の中に次のような文があり、unsettled という語の使い方が気になりました。
Kihira, the favorite to win the world title next month in Saitama, looked unsettled in victory, landing just a single triple axel in the triumph.
(来月、埼玉の世界選手権での優勝最有力候補である紀平は、トリプルアクセルを一度だけ成功させ、勝利において動揺しているように見えた。)
こんな風に unsettled が使われるのに、初めて出会いました。
settle は、「問題などに決着をつける、落ち着かせる、定住する」 などいろいろな意味がありますね。
settle down という形で、次のように使われるのをよく聞きます。
Give me a call when you settle down.
(落ち着いたら、電話してください。)
これは、引っ越しをした後や、旅行から帰ってきたばかりなど、ちょっと立て込んでいる人に対しても使えますね。
settle には、「落ち着く」という意味がありますが、語源を見ていると、Middle English (中英語)の setle = seat (いす)ということで、座らせるということから、落ち着かせるということになるようです。
辞書を見ると、settle は、「長椅子、ベンチ」 という意味も載っています。
そして、settle に un が付くと、「落ち着かない」ということになり、unsettled は、形容詞としていろいろな状況で使える語のようです。
上記の紀平さんの文の unsettled についてもどのように訳そうかと少々悩みましたが、「動揺して」としてみました。
unsettled は、uneasy (不安な、心配な)とも置き換えられますね。
例えば、夜に一人でいるときに、他の部屋から物音が聞こえたりしたら、You felt unsettled / uneasy. ということになりますね。
After many years, the matter was still unsettled.
(長年経ったが、その問題はまだ決着がついていなかった。)
このように、物事が決着していないという場合も、不安材料にもなりますね。
unsettled は、他にも、「社会や状況が不穏な」、「天気などが不安定な」 のような意味でも使えます。
いずれにしても、unsettled は、不安な落ち着かない状況を述べる言葉ですね。
2011年に起こった東日本大震災の津波についてのNHK番組を見ました。
あれからもう8年になるんですね。
番組の中で、あのときの黒い津波の分析をしていたのですが、どろっとした黒い津波の液体は、「ヘドロ」 だということでした。
このヘドロという言葉もカタカナ語ですが、日本語なのですね。
語源は定かではないようですが、「吐(へど)」 と 「泥」の合成語という説もあるようです。
夫とこの番組を見ていたので、ヘドロを英語で説明しなければいけなくなるのですが、そもそもヘドロというのが何なのか分かっていないと英語に訳すことができなくなります。
ヘドロとは、「河川や沼、池や湖、海などの底に沈殿した有機物など多くを含む泥」 と載っています。
私が知っている泥に関する語彙は、mud と sludge で、sludge の方が、ぬかるみのような軟らかい泥というイメージだったので、sludge at the bottom of the sea (海底の軟らかい泥)のように夫に言ってみると分かったようです。
念のため sludge の定義を見てみると、いくつかある定義の中で、次のようなものが載っていました。
a deposit of ooze at the bottom of a body of water
(水底の軟泥の沈殿物)
ということは、sludge だけで、「海底の」という意味も含まれうるので、ヘドロ= sludge でよいようです。
sludge という単語を見ていて、slush を思い出しました。
slush / slushy (スラッシュ、スラッシー)というかき氷がとけたような飲み物もありますが、雪が半分解けたような状態を表す場合に使われることが多いです。
泥に水分が含まれて軟らかい状態の sludge と、雪が半分解けた状態の slush ですが、見た目もちょっと似ていますが、語源的にはどうなのでしょう。
語源辞書には、sludge は、泥を意味する slutch という Middle English (中英語)が語源かもしれないし、slush と関連しているのかもしれないということです。
sludge も slush も、あまりきれいなイメージの言葉ではありませんね。 そこで、もう一つ、slob (だらしない人)という語も、関連語として一緒に語源辞書に並んでいました。
slob が、ヘドロを意味する sludge と関連するなら、かなりひどいイメージの言葉だったんだなあと改めて思いました。
番組の中では、ヘドロを飲み込んでしまい、今もその後遺症でつらい思いをしている人がいるとのことでした。
8年経ちましたが、まだまだ解決していないことがたくさんあるのだと痛感します。
今年のアカデミー賞の作品賞を受賞した 「グリーンブック」は、アメリカの人種差別を背景とした作品です。
1960年代のアメリカ南部が舞台で、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が友情を深めていく姿を描いたもので、実話に基づく話のようです。
この映画を見てみたいと夫と話していたときに、夫はこの映画は、American apartheid の映画だなあと言いました。
文字を見ると、「アメリカのアパルトヘイト」ということで分かりやすいのですが、これを耳で聞くと、ちょっと分かりにくいのです。
apartheid の h は発音せず、最後の d / t もあまり聞こえず、アパルテイ (ト) のような感じに聞こえます。
人種差別の映画の話をしていたので、アパルトヘイトのことだと、なんとか察しがつきました。
そして、歴史の時間に習ったアパルトヘイトという言葉は、apart (離れて)ということなのだと改めて思いました。
apartheid は、apart = separate + heid = hood という構成になっており、Afrikaans ( アフリカーンス語) で、separateness (分離)という意味です。
-hood は、motherhood (母性、母であること) のように、~である状態を意味しますね。
アパルトヘイトと言うと、ヘイト = hate (憎しみ)も想像できますが、これは関係ありません。
アフリカーンス語は、オランダ語の方言から生まれた言葉で、17世紀に南アフリカに入植したオランダ人を中心とした白人の言葉です。 なので、オランダ語に由来している言葉が多いようです。
apartheid は、南アフリカ共和国の人種隔離政策のことですが、アメリカの人種隔離政策については、同じように 「分離」を表す segregation という言葉があります。
辞書の中に、こんな記述がありました。
"Segregation" is such an active word that it suggests someone is trying to segregate someone else. So the word "apartheid" was introduced
(segregation は、とても積極的な言葉で、誰かが誰か他の人を差別しようとしていることを暗に示すようだ。 それで、apartheid が取り入れられた。)
segregation も apartheid も、語の意味はほぼ同じなのでしょうが、アフリカーンス語であり、他の国で行われた apartheid という言葉を使う方が、アメリカ人には少し気が楽になるのかなあと思ってしまうのは考えすぎでしょうか。。
グリーンブックのような映画を見て、人種の溝が狭まっていくといいなあと思います。
友人が、子供の通う学校のある委員会のあり方について、少々愚痴を言っていたのですが、そのときに次のようなことわざを使っていました。
If it is not broken, don't fix it.
(壊れていないなら、直さなくてもよい。)
そして、この表現のオリジナルの形は、If it ain't broke, don't fix it. で、アメリカの南部の人の言葉のようで、下記のような定義が載っています。
said when you recognize that something is in a satisfactory state, and there is no reason to try to change it
(何かがまあまあの状態で、それについて変える理由はないと思えるときに言われる)
友人は、このことわざを使い、その委員会について、改善する余地があるのにそうしないことを言おうとしていました。
ベストな方法ではないけれども、なんとかそれでもできるなら、あえて変えようとしないということは、日常的によくありますね。
これを日本語のことわざで言うと、「触らぬ神に祟りなし」 となるようです。
これは、その物事にかかわりさえもたなければ、災いを招くことはない。 めんどうなことによけいな手出しをするな、ということです。
変化というのは、何かリスクと背中合わせのように感じ、できれば避けたいと思うのが普通ですね。 でも現状維持だけでは進歩がないのも事実ですね。
物事に注目し、何をどのように変えていくべきか考え実行することで、向上していくのでしょうね。