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恥ずかしがり屋な花?

BSニュースで、 アメリカ大統領選挙の民主党候補 Michael Bloomberg のインタビューを聞いていて、ひっかかった表現がありました。

家族のことを聞かれて、答えていた中の一文です。

My daughters are very dedicated and have their own views. Neither one is a shrinking violet. They stand up and fight for what they believe.

(私の娘たちは、とても献身的で、自分たちなりの考えを持っています。 どちらも引っ込み思案ではありません。 彼女たちは、自分たちが信じることのために、立ち上がって戦います。)

shrinking violet という表現は、初めて聞きましたが、「恥ずかしがり屋、引っ込み思案な人」 という意味があるようです。

shrinking violet の他に、as shy as a violet という表現もあるようです。

violet は、「スミレの花」 ですが、辞書には、「謙譲、貞節、薄命」 の象徴と載っています。

また、「スミレ色」 = 紫という意味で使われることも多いですね。

shrink は、「縮む」 という意味ですが、「ひるむ、しり込みする」 のようにも使える語です。

イギリスの野生のスミレは、地に這うように、葉っぱの中に隠れて、ひっそりと咲いているようで、そのようなスミレの特性から、shrinking violet という表現が生まれたようです。

ところで、同じような花に、viola や、pansy があり、これらは、同じスミレ科に属するようですが、violet が、野草であるのに対して、園芸用に品種改良されたものだそうです。

また、言葉的には、violet は、ラテン語 viola の diminutive (小型)ということで、violet の方が、viola よりも小さいようです。

book と booklet (小冊子)のような関係ですね。

余談ですが、viola というと、楽器の 「ビオラ」 という意味もありますね。 そして、その小型が、violin (バイオリン)ですね。

公園などでよく見かけるカラフルなパンジーは、とても恥ずかしがり屋には見えませんが、野草のスミレは、また趣が違うようですね。


ご参考までに、パンジーについての記事は →こちら


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ジムに出かける

翻訳していた資料の中に、次のような文がありました。

There are many health concerns that can't simply be solved by hitting the gym a few times every week.
(毎週2、3回ジムに出かけるだけでは解決できない健康上の問題はたくさんあります。)

going to the gym to workout (運動しにジムに出かける)ということを、hit the gym のように言うのを聞くことがあります。

hit と言えば、まず 「打つ、たたく」 という意味が浮かぶかもしれませんが、もともとの意味は、meet = 出くわす ということのようです。

それで、hit it off (仲良くなる、意気投合する)のような慣用句もあるわけですね。

Ken and Mary met at a party yesterday and hit it off .
(ケンとメアリーは、昨日パーティで会って、意気投合した。)

では、hit the gym は、どういう意味なのだろうと考えてしまいました。

gym 以外にも、次のような言い方もあります。

Now, let's hit the road.
(さあ、出発しよう。)

It's time to hit the hay / sack.
(ベッドに行く時間だ。)   昔は、hay = 干し草でベッドを作っていたからですね。

Shall I hit the gym or hit the books?
(ジムに行こうか、それとも勉強しようか。)

hit the road は、今では、車で出発するイメージですが、昔は、馬車だったので、馬のひづめが道路を打つ感じなのかもしれないとのことです。

hit the hay の場合は、干し草に自分の体を当てるという感じですね。

hit the gym や hit the books は、ジムに行って運動する、勉強するのように普通に言うよりも、ちょっと cool な言い方なのかもしれません。

このような表現は、ネイティブの人が使う方が様になる気もしますが、知識としては蓄えておいてもいいですね。


顔 と マスク

コロナウイルス感染者が日に日に増えているようですが、今後も拡大していくのか、収束してくるのか、ここ1~2週間が山場のように伝えられています。

私も人混みでは、マスクをしていたのですが、そのマスクがあと数枚になって、これからどうしようかと考えているところです。

ニュースを読んでいると、次のように、mask だけでもよいのですが、face mask というように使われていることも多いように思います。

News reports about the coronavirus have many people reaching for a face mask.
(コロナウイルスについての報道により、多くの人がマスクを求めて手を伸ばした。)

マスクは、鼻や口の部分を覆って、顔の大部分とも言えるので、face mask でよいのでしょうね。

私は、個人的には、face mask と聞くと、美容用のパックを思い浮かべてしまうのですが、face mask には、「美容パック」 という意味だけではなく、「スポーツ用、防寒用、医療用マスク」 などという意味もあるようです。

美容パックという場合は、face pack facial mask のような言い方もありますね。

facial には、「顔の」 という形容詞以外に、「顔の手入れ、美顔術」 という意味もありますね。

また、きれいな言い方ではありませんが、次のような俗語的な表現を聞くことがあります。

Shut your face. (黙れ。)

face を閉じるということが、口を閉じる = 黙れということになるようで、face は、口という意味にもなり得るということですね。

ところで、mask という言葉は、顔を覆い隠す、仮面という基本的な意味がありますが、イタリア語 maschera が語源のようです。

この maschera を見ていると、mascara (マスカラ) と似ていると気づきますが、mask と mascara の語源は同じのようです。

古フランス語 mascurer = to black (the face) = (顔を)黒くする とも関連があるようです。

マスカラは、まつ毛を黒くし、マスクは、顔を黒くして隠すという意味があったのかもしれません。

最近は黒いマスクも見かけますが、これはなかなか語源的にはぴったりの色だなあと思います。

と、こんなことを考えながら、しばらくは、できるだけ人混みを避けて過ごそうと思います。 みなさんもどうぞお気をつけください。


シングルで幸せ

Dictionary.com の俗語辞書に登録された比較的新しい言葉についての記事を読みました。

その中に、self-partnered という語がありました。

これは、ハリーポッターで、ハーマイオニー役の Emma Watson の言葉で、彼女が自分自身のことを、self-partnered と述べたそうです。

self-partnered は、自分自身をパートナーとするということで、single の別の言い方ですが、ちょっと持って回った感じですね。

これは、single and happy ということのようで、次のような意図もあるのではとのことです。

It’s pointed in that it calls out how society often judges women who are single, as if something is wrong with them for not finding or wanting a partner.

(パートナーを探さなかったり、欲しいと思わないと、まるでどこかおかしいのではないかと思われ、社会がシングルでいる女性をよく批判するということを示唆している。)

その理由の一つとして、次のような文が続きます。

Think of the stereotypes around single older women as spinsters, for one.
(一例としては、年をとった未婚女性を、<軽蔑的な> spinster = オールドミス?とする固定概念を考えてみてください。)

未婚男性 = bachelor に対して、未婚女性 = spinster という言葉がありますが、spinster には、中高年で結婚しそうにない独身の女性という意味が含まれます。

spinster は、female spinner of thread(糸紡ぎ女)という意味で、独身の女性は糸を紡ぐのに忙しくしていたということのようです。

bachelor party(独身さよならパーティ)という表現があるように、bachelor には、あまりネガティブな意味合いはないように思われます。

男女が独身であるという中立的な語としては、single があるのでしょうが、single も時には、自分の状態を表すのに十分ではないと感じる場合もあるのかもしれません。

独身でも幸せならいいではないか、というような言い方をすることがありますが、そういう場合は、この独身 = single という語に、否定的な意味合いが多少含まれているのかもしれません。

self-partnered という語は、まだ一般的に使われる語ではありませんが、今後、この言葉の使用が増えていくのかどうか観察しようと思います。


十数発

少し前になりますが、ニュースの中で、「十数発のミサイル」 という表現がありました。

日本語で聞いていたので、隣にいた夫に英訳しようと思ったのですが、これが結構難しいなあと思ったのです。

10 発なら ten、数発なら several のように言えるのですが、十数発という表現が、ぱっと思いつかなくて、とりあえずその場は、more than ten, maybe 15 or so (10以上で、15かそこらかなあ。)と言っておき、後で英語版のニュースで、どのように言っていたかを調べてみて、なるほどと思いました。

more than a dozen missiles
(12以上のミサイル → 十数発のミサイル)

12の単位があることを、すっかり忘れていました。 

確かに、dozen を使うとすっきりするなあと感心しました。

a dozen (of) pencils (1ダースのえんぴつ)のような使い方はできても、ちょっと応用されて、十数個と言われると、思いつかないものだなあと、もっと脳を柔軟に鍛えなければと感じました。

また、dozens of books のような表現もよく耳にしますね。

dozens of + 名詞で、「多数の~」 という意味です。

でも、基本が dozen なので、イメージ的には、100以下の数字なのかもしれませんね。

a dozen(12)、two dozens(24)、three dozens(36)、four dozens(48)ぐらいまでは数えられても、その後は、dozens of になるのでしょうね。

100 以上になると、hundreds of(何百もの~)、thousands of(何千もの~)のような表現もありますね。

そして、数が大きくなっていくと、ややこしくなりますが、次のように、つながっていきます。

tens of thousands of(何万もの~)
hundreds of thousands of(何十万もの~)
millions of(何百万もの~)

これらは全て、「多数の~」 と訳されることもありますが、dozens of と tens of thousands of では、同じ多数でも違いがありますね。

日常の会話でも、家や車の値段、家賃など、大きな数字を英語で言う機会があるかと思いますが、スマートに言えるように整理しておくといいですね。

最後に、十数個は、more than a dozen で、数十個は、dozens of ということですね。


田舎道

兵庫県立美術館で開催されているゴッホ(Vincent Van Gogh)展に行き、素晴らしい絵を鑑賞してきました。

初期の作品や、ゴッホが影響を受けたハーグ派と呼ばれる画家たちの絵もありました。

その中に、country lane というタイトルの絵がありました。

絵を観ながら、country road ではなくて、 country lane ということで、lane という語のイメージが、いまいちつかめていなかったように思いました。

road と言えば、車も通れるような道ですが、lane は、狭い通り、細道ということで、定義の一つが次のように載っています。

a narrow road in the countryside or in a town
(田舎や町の狭い道路)

確かに road よりも 狭い道が lane なのでしょう。

lane には、車の車線やプールのレーンという意味もありますね。

そして、狭い道と言えば、path もありますね。

path も小道ですが、どこかに通じる道という意味があるようで、次のような例文もあります。

This is the path to the cliffs.
(これは、崖に通じる道だ。)

The path to success is fraught with difficulties.
(成功への道筋は、苦労でいっぱいだ。)

それぞれの単語の使い方に違いはありますが、物理的な道幅については、boulevard → road → lane → path → trail の順に狭くなる感じがします。

ところで、以前に memory lane について書いたことを思い出しました。→こちら

I followed the path I believed in.
(私は自分の信じる道を進んだ。)

そして、過去を振り返り、walk down memory lane (思い出の小道を歩く = 昔の思い出を懐かしむ)ということもありますね。

なぜ、先へ通じる道が path で、振り返るのが lane なのかはよく分かりません。

絵画展で気に入った絵の絵葉書を数枚買って、部屋に飾っています。 絵画も十分楽しみましたが、ついいろいろな言葉にひっかかってしまいます。


控えめな表現

息子の学校の経済学の先生はイギリス人なのですが、彼は、生徒のレポートを読んだり、プレゼンテーションなどを聞いて、よく次のように言うそうです。

Not bad at all.

これは、「相当いいね。結構いいね。」 のようなポジティブな意味ですね。

Not bad. だけでも、「悪くない。」 ということですが、at all が付く方が、さらに良い感じがします。

良いなら good と言えばいいのかもしれませんが、このように控えめな表現をすることが、イギリス人には多いのかもしれません。

控えめに言うことを、understatement と言います。

その反対は、overstatement で、「誇張して言うこと」 です。

イギリス人が、understatement なら、アメリカ人は、overstatement という傾向があるかもしれません。

Not bad at all. と言う代わりに、アメリカ人なら、Incredibly good. (すごくいい。信じられないほどいい。)などと言ってしまうかもね、と夫に言うと、アメリカでも、中西部の方では、Not bad at all. もよく使われると言っていました。

夫は、子供のころミネソタ州で暮らしたのですが、食べ物をすすめても、最初は遠慮して、3回ぐらいすすめられてやっと、ありがとうと言って食べるような気質がミネソタ人だとも言っています。 

なんだか日本人のようで親しみを感じてしまいます。

また、何かプレゼントをもらった時に、そのプレゼントが自分の気に入ったデザインや色ではない場合、That's a little different. (ちょっと変わってるね。)のように言うのも、understatement と言えます。

ひどい目にあった時に、I had a very interesting experience. (とてもおもしろい経験をした。)などと言うのもそうですね。

ところで、先生が、Not bad at all. と言う時に、生徒があまり授業を聞いていないように見えていたので、期待していなかったけど、結構いいじゃないかというような意味もあるのかと考えてしまいますが、そのように案外良いという場合は、Not so bad.がいいかもしれません。

Not bad at all は、良いということの understatement なのでしょうね。


thesis の複数形

先日、読んでいた書類の中に、スペルミスに見えるような単語があったのですが、もちろん私の間違いでした。

How to write academic theses
(学術論文の書き方)

theses は、thesis (論文)の複数形だったのですね。

発音は、カタカナで書くと、theses = シーシーズ、thesis = シーシス となります。

theses は、this の複数形の these にも似ていますが、These theses are....... (これらの論文は........) のように書くことも可能ということになりますね。

thesis - theses のように、crisis (危機) の複数形も crises となるようです。

ところで、大学の卒業論文や修士論文には、thesis / theses が使えますが、博士論文は、通常、dissertation という語を使います。

dissertation の複数形は、単に s を付けて dissertations となります。

私の友人で、妻であり母であり、そして学生にもどり、dissertation を提出し、博士の学位を取った人がいて、その努力には刺激を受けたものです。

私はそこまでのエネルギーはありませんが、細々とは勉強を続けていければなあと思います。。


マッチしない

先日のトランプ大統領の一般教書演説の中で、次のような文がありました。

Our military is completely rebuilt, with its power being unmatched anywhere in the world.
(我々の軍隊は、世界中のどこにも比類ない強い力を持ち、完全に建て直されている。)

この unmatched は、ここでは「無比の、比類ない」のような意味で使われています。

match (匹敵する)ものが他にないということで、言われてみれば理解できますが、自分の口からは、なかなか出てきにくい言い方だなあと思いました。

unparalleledunequaled も unmatched と同じような意味があります。

unmatched には、上記の意味以外に、文字通りの 「釣り合わない、調和しない」 という意味もあります。

上下の柄や生地が別々のスーツは、unmatched suit です。

また、靴下の片方が見つからない時、その片方の靴下は、unmatched sock になり、unmatched には、「ペアのうちの片方の」 という意味もあるようです。

もともと対をなすもの、例えば、手袋なども、片方なくなってしまったら、unmatched glove です。

片方がなくなって、別々の異なる手袋を両手にはめると、Your gloves are unmatched. と言われるかもしれません。

match という語は、語源的に one of a pair という意味で、mate (連れ合い、対をなすものの片方) とも関連しています。

釣り合うということから、対等である、匹敵するのが match で、unmatched は、匹敵するものがないという意味でも使えるわけですね。


多数派側

家族で話していた時に、息子が Mark Twain の次のような言葉を教えてくれて、私に、意味が分かるかと聞きました。

Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.
(自分が多数派側にいる時はいつも立ち止まり、自分と向かい合ってじっくりと考える時だ。)

多数派側にいると楽ではあるけれど、そのために多数派に属するのはどうなのだろうか、などと話しました。

皆と同じことをしていれば安心という感覚は、日本ではよくあることで、考えさせられる言葉だなあと思いました。

この言葉の意味を調べてみると、次のような説明が載っていました。

Don’t follow the crowd without thinking for yourself.
(自分で考えずに、多数派に従うな。)

Don’t choose something just because a majority of the people do that.
(大多数の人がするからといって、何かを選ぶな。)

Everyone is different, we all have different perspectives.
(すべての人は異なり、私たちはすべて異なる見方を持っている。)

Don’t be a blind follower, find yourself and do what makes you happy and fulfilled.
(何も考えずに従う追随者にならず、自分を見つめて、自分を幸せにそして充実させることをしよう。)

多くの人に人気があるものが、必ずしも自分が気に入るとは限らないですね。

人と異なることを恐れずに、自分らしく生きていければ幸せなのではないかと思います。


お知らせ
プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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