我が家の最寄り駅の近くに、新しいハワイアンドーナツのお店が開店したので、早速買いに行って食べてみました。
人に勧めたくなるほどの味というわけではありませんでしたが、まあ普通においしくいただきました。
そのドーナツの感想を夫に聞くと、次のような答えが返ってきました。
This did not really knock my socks off.
(これは、それほど私を驚かせなかった / 感動させなかった。)
ということは、まあそれなりにおいしいけれど、びっくりするほどではないという感じでしょうか。
knock someone's socks off は、「とても驚かせる、感動させる、びっくりさせる」 という意味の慣用句で、よく見聞きしますが、考えてみるとおもしろい表現ですね。
knock = beat (打つ)されて、その衝撃が強くて、靴下までぬげてしまうというちょっと乱暴なイメージですね。
上記の文では、knock someone's socks off は、impress、amaze (人を感動、感心させる)というよい意味での驚きを示しています。
でも、もともとは、defeat someone or something completely (誰か、何かを完全に負かす)という意味で使われていたようです。
knock the socks off the disease (その病気に打ち勝つ)のように使われていたそうですが、現在は、「驚かせる」 という意味で使われるようになったようです。
そして、knock someone's socks off は、impress というよい意味の驚きばかりを表すわけでもないようです。
knock someone's socks off という表現を私が最初に知ったのは、夫の母が夫に送った手紙の中の一文でした。
もう何十年も前に、夫が私との結婚を両親に伝えたことについて、次のように書いてある文がありました。
You really knocked our socks off.
(お前は本当に私たちをびっくりさせてくれた。)
言葉や文化などが違う外国の女性と突然結婚すると言われ、それは驚かれたことだと思います。
この場合の驚きは、思いがけなくて驚いたという中立的な surprise なのだと思いつつ、もしかしたら、ショックで、overwhelm (圧倒する、打ちのめす) のような気持ちなのかもしれないと考えて少々心配したものです。
結婚後は、いつも実の娘のように接してくれて、いつもありがたく思っているのですが。
knock someone's socks off という表現は、「人を感動させる」という意味もあれば、「ものすごくびっくりさせる」 という中立的な驚きを表すこともあるようですね。
心が衝撃を受けるほど、とても驚いた時には、surprise の代わりに、knock someone's socks off を使ってみてもいいかもしれません。
前回、アメリカに住んでいた時に息子が通っていたハイスクールの卒業式について書きました。
その学校から、卒業式の注意事項について、間違って送られてきたメールの中に、次のような文がありました。
Students need to arrive and be seated fully dressed in their graduation regalia no later than 6:30 p.m.
(生徒は、午後6時30分までに到着し、きちんと卒業式の式服を着て着席している必要があります。)
卒業式には、cap and gown (卒業式用の角帽とガウン) を身に着けますが、それらを graduation regalia のように表現するのは知りませんでした。
regalia は、regal (王の)と似ていますね。
ついでに、legal は、「法律の、合法の」 という意味ですね。
regalia は、「王位の象徴、王や王族の権力」 という意味があります。
crown (王冠)や tiara (ティアラ) など、王族が身に着けるものということですね。
そして、次のような定義も載っています。
special clothes and decorations, especially those used at official ceremonies
(特に正式な儀式に使われるような特別の式服や装飾品)
卒業式の式服には、cap に付ける tassel (飾り房)も含まれるでしょうね。
cap、gown、tassel は、スクールカラーであることが多く、また成績優秀者は tassel の色が違うことがあります。
卒業証書を受け取り、卒業式の終わりには、生徒たちが一斉に、右側に付けていた tassel を左に移動させて、卒業したことを実感するようです。
ところで、regalia は、ラテン語由来の語で、形は複数形のようで、単数形は regalis となりますが、常に regalia という複数形の形で使われるようです。
また、日本の 「三種の神器」 は、Imperial Regalia of Japan と表現されるようです。
regalia は、王位や地位を示す象徴で、華やかな美しいイメージの言葉ですね。
私たち家族は2年前に日本に引っ越してきたのですが、アメリカに住んでいた時に息子が通っていたハイスクールの卒業式が金曜日にありました。
そのビデオを見ながら、先生方や生徒たちを懐かしく思い出していました。
アメリカの卒業式では、 学年の成績上位2名の生徒が、valedictorian、salutatorian と呼ばれ、卒業生代表として、スピーチをします。
そのスピーチの中で、次のような言葉があり、心に残りました。
Assume nothing, question everything.
(何でも思い込まず、全てに疑問を持とう。)
何でもうのみにせずに、自分でしっかり考えようということですね。
assume は、次のような定義が載っています。
to accept something to be true without question or proof
(何かを疑問や証拠なしに真実だと受け取ること)
本当にそうだろうかと疑ってかかることも時には必要なのかもしれませんね。
ところで、assume という語は、辞書を引くと、上記のような 「思い込む、当然と思う、推測する」 という意味だけではなく、いろいろな使い方ができるように載っています。
次のような例文があります。
Superman assumes the identity of a city news reporter.
(スーパーマンは、新聞記者に成り代わっている。)
assume = pretend (~のふりをする)
The terrorists assumed control of the plane and forced it to land in the desert.
(テロリストは、飛行機の制御を支配し、砂漠に着陸させた。)
assume = take control of something (制御する、支配権を握る)
本当は新聞記者ではないスーパーマン、飛行機の制御を支配するべきではないテロリストのように、なんとなく、表面上そういう状態になっているというニュアンスがある場合もあるのでしょうか。
assume も奥が深い語のひとつのように思います。
卒業生たちは、これからそれぞれの世界に羽ばたいていくわけですが、assume せずに、常に自分の頭で考えて行動することは大事なことだと思います。
CDC (アメリカ疾病管理予防センター) では、毎週 COVID-19 に関しての morbidity and mortality report を出しているようです。
morbidity は、「罹患率、疾病率」、mortality は、「死亡率」 のように訳すことができ、下記のような説明が載っています。
The morbidity rate is a measure of how many people have an illness relative to the population; the mortality rate is a measure of how many people have died because of an illness, also relative to the population.
(罹患率は、人口に対して、どのぐらいの人が病気に罹っているかを表す尺度であり、死亡率も人口に対して、どのぐらいの人がある病気のために死亡したかを表す尺度である。)
morbid は、医学的に 「病気の」 という意味以外には、「人や性格などが病的な」 という意味もあり、次のようにも使えます。
He has a morbid fear of cats.
(彼は、病的なほどネコを恐れる。)
morbidity という語を知った時に、ちょっと発音が mobility (動きやすさ、可動性)に似ているなあと思ってしまいました。
morbidity (発音: mɔrbídəti)
mobility (発音: moubíləti )
意味も成り立ちも関係のない語ですが、病気になったら動けないなどと勝手にこじつけて覚えています。
mortality rate は、death rate とも言うようですが、「一定人口に対する」 というのがポイントですね。
mortal は、「やがては死ぬ運命にある」 という意味があり、そういう意味では、人間は皆 mortal ということになってしまいます。
mortality rate は、運命的な死ではなく、病気という理由、また一定人口に対する死亡率ということですね。
緊急事態が解除されてしばらく経ちますが、第二波、第三波で、罹患率、死亡率が上がらないように祈るばかりです。
今日の天声人語に、次のような文がありました。
「このごろ米国ではカレンという名前が、居丈高に文句を言う白人女性を指す隠語として使われる。」
私は Karen がそのように使われることを知らなかったので、本当にそうなのかと家族に聞いてみました。
息子は、「知っている、人が使っているのを聞いたことがある。」と言い、夫は知らなかったそうです。
The lady at the restaurant was such a Karen.
(レストランにいた女性は、とてもカレンだった。= 感じが悪かった。) のように使えるそうです。
2010年代に、インターネットで、名前を使ってある特定の人々をばかにする傾向があって、Karen もその仲間入りをしたようです。
Karen の定義は次のように載っています。
a mocking slang term for an entitled, obnoxious, middle-aged white woman.
(何でも思い通りになると思っていて、感じの悪い中高年の白人女性をばかにする俗語)
余談ですが、このような entitled の使い方は、なかなかおもしろいですね。
entitled は、「資格、権利を与えられている」 という意味で、次のようにも使えます。
He was entitled to a promotion and higher salary by his qualifications and years of service.
(彼は、資格と働いた年数により、昇進と昇給の権利を得ました。)
entitled woman というのは、直訳すると 「権利が与えられている女性」 となりますが、勝手にどんな権利もあると思い込んでいるような女性ということで、わがままな感じです。
Karen は、レストランなどで不快なことがあると、「マネージャーを呼べ。」 と言うイメージだそうです。
また、同じように、Becky も俗語として、a stereotype for a white woman (白人女性のステレオタイプ)として使われるようです。
Becky は、若くてつまらない平均的な白人女性というイメージのようです。
こんな風に、白人女性も嘲りの対象となることがあるわけですね。 人種によって人気がある名前やそのイメージというものがあるのでしょうね。