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たまごの話

毎日テレビのニュースで、新型コロナウイルス感染者数が発表されますが、関西地方でも、最近は感染者数がゼロの県もちらほらとあります。

ゼロを表す goose egg という表現があります。

例えば、兵庫県の感染者 0 人と出ていると、夫は、Yay, goose egg ! (やったぁ、ゼロだ。) のように言うことがあります。

数字の 0 (ゼロ) という形が、goose egg (ガチョウの卵) に似ているからだとのことです。

でも、鶏の卵も形は同じなのに、どうしてガチョウの卵がゼロという意味になるのでしょうね。

そう言えば、テニスのスコアで 0 点を love と言うのも、フランス語 œuf (卵)に冠詞が付いた l'œuf を英語読みしたものだという説を聞いたことがあり、辞書にもそのように載っていますが、卵とは関係なく、play for the love of the game (テニスの試合を愛するがゆえにプレーし)、それ以外には何もないということでゼロという意味になるという説もあるようです。

また、クリケットの試合では、0 点は、duck (egg) (アヒルの卵)と言うそうです。

アメリカでは、goose egg、イギリスでは duck egg と言うということなのでしょうね。

a pitchers' duel, with nothing but goose eggs on the scoreboard.
(ピッチャー対決で、得点掲示板には 0 ばかりが並んでいる。)  のように使えるようです。

0 がたくさん並んでいる場合は、複数形 goose eggs となりますね。

日本語で卵型というと、顔の輪郭について言うことはあっても、卵の形からゼロはちょっと思いつきにくいなあと思います。

また、goose egg には、「なぐられてできるこぶ」 という意味もあるようです。

コロナ感染者数に goose eggs が並ぶことを祈りたいと思います。


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飽き飽きするほど

自分の子供の自慢話ばかりするような人には、周りの人たちは、嫌になってしまうことがありますね。

そんな時は、私なら次のように言うかもしれません。

I am tired of his constant bragging about his kids.
(彼がいつも自分の子供たちの自慢をすることに飽き飽きだ。)

「飽き飽きするほど、嫌になるほど」 という意味のラテン語を英語の中で使うことがあるようで、夫が先日使っていました。

ad nauseum です。

His constant bragging was ad nauseum.
(彼の自慢話は嫌になるほどだった。)

ad nauseum について、次のような定義が載っていました。

if you do or say something ad nauseam, you repeat it so many times that it annoys other people
( 何かを ad nauseum したり言ったりするということは、それを何度も繰り返して他の人をムッとさせたり困らせるということです。)

nauseum と聞いて、nausea (吐き気) という単語を思い出しました。

通常、吐き気がすると言いたい場合は、I feel / am sick. で十分ですが、医者が質問する場合は、Do you have nausea ? のように言うことがあります。

想像した通り、ad nauseum は、to sickness ということなので、文字通り訳すと、「吐き気がするほど」 となります。

日本語でも、「気分が悪い」 というのは、体調にも感情にも使える表現ですね。

I am sick of his bragging.
(彼の自慢話にはうんざりだ。)  のようにも言えますね。

ad nauseum は、何度もくどくどと繰り返されることに、うんざりしているということですね。

このようなラテン語を文の中で使えると、ちょっと知的に聞こえるのかもしれませんね。。


慎重ながらも楽観視

コロナウイルスワクチンのニュースを聞いていると、cautiously optimistic という表現がよく使われています。

We feel cautiously optimistic that we will have a vaccine by the end of this year.
(今年の終わりまでにはワクチンができるということについて、慎重ではあるが楽観的な見方をしている。)

最初に聞いた時は、cautious (慎重な) と optimistic (楽観的な) という相反する語をつなげたおもしろい表現だなあと思いました。

定義は次の通りです。

hopeful about something, but recognizing the problems involved
(何かについて希望を持っているが、それに関係する問題を認識している)

そのまま、「慎重ながらも楽観視している」 という訳も載っています。

ワクチンについては、ほぼ確信できているが、困難なことが起こったり失敗する可能性もないことはないという感じでしょうか。

ところで、optimistically cautious と反対にすることもできるのだろうかと、ふと思いましたが、通常は cautiously optimistic の形が使われるようです。

optimistically cautious は、慎重な気持ちの方が強そうですね。

cautiously optimistic と並べておいて、cautiously を強く発音すると、慎重な気持ちが強く、optimistic を強く発音すると、楽観的な気持ちが強いということにもなるようで、次のように二通りの意味合いがあるようですね。

① 楽観視しながらも決して注意を怠らない。

② 慎重ながらも楽観視する気持ちの方が強い。

どちらにしても、慎重でありつつ、希望を持ちポジティブであることはいいことですね。


元にもどす

以前に、unsay (言ったことを言わなかったことにする)や unsee (見たことを見なかったことにする)について書きました。

このような unで始まる語をさらっと使えると便利ですね。

前回、コロナウイルスのワクチンを接種した女性について書きましたが、その同じ記事の中に、次のような文がありました。

Whatever was in in the shot was coursing through my veins; there was no way to unring this bell.

(その注射の中に何が入っていたにせよ、それは私の血管を勢いよく流れていて、もう元にもどすことはできなかった。)

注射を打ってもらっている最中の不安な気持ちが表れていますね。

unring this bell の this bell は、ここでは、ワクチンの注射のことですね。

unring the bell が、通常の形のようです。

直訳すると、「鳴らした鐘を鳴らさなかったことにする」 ということですね。

to take back something once said or done.
(いったん言ったりしたことを元にもどすこと。) ということですね。

次のように can't を伴うことも多いようです。

You can't unring the bell once you have sent out that mail.
(その郵便物を送ってしまうと、もう取り消しできないよ。)

また、この表現は、下記のように、法廷で使われていたようです。

When discussing jury trials, the phrase is sometimes used to describe the judge's instructions to the jury to ignore inadmissible evidence or statements they have heard.

(この表現は、陪審裁判を協議中に、判事が陪審員に対して、彼らが聞いた法的に認められない証拠や陳述を無視するように指示することを述べるのに使われることがある。)

いったん聞いてしまったり知ってしまった情報を忘れてしまうことは難しいでしょうが、あえて unring the bell (聞かなかったことにする) と言ったわけですね。

unring the bell は、起こったことを ignore、disregard = 無視する ということでもあるようですね。

物事が起こる前の元の状態にもどすということですね。


予約だけではない reservation

次のような新聞の見出しを見つけました。

The Joan of Arc of coronavirus vaccine trials
(コロナウイルスワクチン試験のジャンヌダルク)

歴史で習ったフランス語のジャンヌダルク = Jeanne d'Arc は、英語では、Joan of Arc となり、一瞬、考えてしまいますね。

ついでに、スペイン語なら、Juana de Arco (フアナ デ アルコ) と言うそうで、これが耳から入ってくると、もう誰のことか分からなくなってしまい、固有名詞もなかなか難しいものです。

この記事は、コロナウイルスのワクチン試験ボランティアをした女性が、ジャンヌダルクのような気持ちで、このワクチン試験に参加したことについて書かれています。

戦争でフランス軍を勝利へ導いたジャンヌダルクのように、コロナに打ち勝つために、副作用などの心配をしながらも、ワクチンを打つことで、コロナ終息に貢献するということなのでしょう。

前置きが長くなってしまいました。

このジャンヌダルクのような女性が、ワクチンを打つ前に、頭のいい医者の友人にメールを送ったそうです。

下記は、その後の文です。

He responded with reservations about taking the vaccine at such an early stage. He said he himself wouldn't.

(彼は、そんなに早い段階でワクチンを打つことについて、不安であると返事した。彼は自分なら打たないと言った。)

ここで目に留まったのが、reservations の使い方です。

ここでは、次のような意味になります。

a doubt or feeling of not being able to agree with or accept something completely
(疑いまたは、何かについて完全に同意したり受け入れることができない気持ち)

また、She is reserved. なら、reserved は、「無口な、内気な」 という意味になります。

内気ということは、感情や意見などを人前に示すことを控えめにするということですね。

reserve には、「控えめ」 という意味合いがあるので、reservations (複数で使われることが多い)にも、ものごとについて控えめな態度でということなのかもしれませんね。

それで、reservations は、「疑い、口に出せないような不安、懸念」 のような訳が載っています。

結局このジャンヌダルクの女性は、ワクチンを打ち、副作用もなく、自分自身を誇らしく思っておられるようです。

私は、ジャンヌダルクのような勇気はないので、引き続きマスクとソーシャルディスタンスで感染予防するしかありません。。


あり得ない

新聞の4コマ漫画の中で、次のような表現がありました。

子供同士の会話です。

A: Don't try to copy my answers this time, Calvin, or I will tell.
(カルバン、今度は私の答えを写さないでよ。もしやったら言うからね。)

B: Ha ! Who needs YOUR answers !? I'll bet I get a better score than you do.
(ほう、お前の答えなんか誰がいるもんか。 きっと俺はお前よりもいい点数を取るから。)

A: YOU ?? That'll be the day.
(あんたが? そんなことあり得ないわ。)

That'll be the day. という表現は、どこかで聞いたことがありましたが、考えてみると、情報がかなり省略されたおもしろい言い方だなあと思いました。

定義は次の通りです。

for saying something will never happen
(何かが絶対に起こらないと言うためのもの)

そんな日が来るわけがないという感じですね。

「そんな日が来たらこの世の終わりだ。」 という皮肉的な言い方です。

この表現の由来について調べていると、軍隊で使われていた語に関連しているかもしれないとのことです。

ドイツ語の Der Tag は、the day に当たります。

ドイツがイギリスに代わり、ヨーロッパで最も重要な国として名を上げるであろうその日ということで、ドイツ軍が Der Tag という乾杯の挨拶をしていたようです。

これに対して、イギリス軍が That'll be the day. と言い返したということです。

また、Buddy Holly の That'll Be the Day というタイトルの曲の中では、次のように使われています。

Well, that'll be the day when you say goodbye
(君がさよならを言うなんてあり得ない。。)

Yes, that'll be the day when you make me cry
(そう、君が僕を泣かせるような日が来るとは。。)

That' ll be the day は、今ではいろいろな場面で使われる表現ですが、ドイツ軍がイギリス軍に勝利する Der Tag = そんな日は来なかったということを思ってみるのもいいかもしれませんね。


beam について

私たちが住んでいるマンションのことで、不動産会社の方と話す機会がありました。

夫が、もし大地震が起きて、自分の所有しているマンションの部屋の beam が破損した場合、費用は管理、修繕費から出るのか、自分たちで払うのかという質問をしたのですが、beam がどこなのか分からず、説明してもらいました。

beam と言えば、「光線」 の意味で覚えていたのですが、下記のような定義も載っていました。

a long, thick piece of wood, metal, or concrete, especially used to support weight in a building or other structure
(特に建物や他の骨組みにおいて、重量を支えるために使われる木材や金属またはコンクリートの長くて厚い一片)

つまり、 「梁、桁」 ということですね。

そう言えば、体操競技で使う細い長い 「平均台」 は、balance beam だったことを思い出し、beam もいろいろな用法があるものだと改めて思いました。

beam は、もともとは tree という意味だそうです。

ドイツ語で tree は、Baum ですが、私も大好きな Baumkuchen (バウムクーヘン)の Baum と英語の beam が同源だとは思いもよりませんでした。

また、beam は、船を支える横木ということから、船の幅が一番広い所を意味し、broad in the beam (お尻が大きい)という表現もあるそうです。

また、光を発するということから、beam には、「にこにこほほ笑む」 という意味でも使えるようです。

She beamed at me.
(彼女はにこにことほほ笑みかけてくれた。)

She has a beaming smile.
(彼女の笑顔は光り輝いている。)

ray は、光線のひとすじ、beam は、光線の束という違いもあるようです。

光線、梁、お尻の幅まで、日本語では全く異なるものを beam で表せるわけですね。


つべこべ言わない!

親が子供に注意するような時に、子供が口答えしないように、no ifs, ands, or buts という表現があり、次のように使えます。

Your room needs to be cleaned, Jim. No ifs, ands, or buts about it, Okay?
(ジム、部屋を片付けないといけないわよ。 言い訳はなしだからね、分かった?)

if (もし) や and (それから) や but (でも) などを使った言い訳は聞きたくないということですね。

何か用事をしなさいと言われて、「でも、もう今日は遅いから明日する。」 のような言い訳をしてしまうことがありますが、そういう言い訳は受け付けないと、先に言っておく表現です。

この no ifs, ands, or buts は、次のような定義が載っています。

Absolutely no excuses, discussion, or protestations (about something).
(何かについて、言い訳、話し合い、抗議は絶対になし)

この表現を最初に知った時には、日本語の 「つべこべ言わない。」 といった感じかなあと思いました。

そして、先日読んでいたオンライン記事の中で、この表現をジョークにしたような注意書きが、フロリダ州の市にあることを知り、笑ってしまいました。

その注意書きは次の通りです。

No ifs, ands, or butts.....

It's the city law.

直訳すると、「もしも、それからも、お尻もない。市の法律です。」

but が、butt となっていますが、butt は、buttock と同じで、「お尻」 のことで、アメリカではカジュアルな会話では使われる語です。

どうしてお尻が出てくるのかと言うと、このフロリダ州の市に saggy pants 禁止令というものがあり、市の法律なのだから言い訳は聞かないということです。 

saggy (垂れ下がった)pants をどのように訳せばよいのか分からず、調べると 「腰パン、バギーパンツ」 と書いてありましたが、通じる言葉なのかどうかは分かりません。

若者がズボンを腰の下の方までずり下げて履くファッションです。

そうすると、下着が見えてしまうので、それを but にひっかけて、butt としているわけで、「しかしもお尻もなし」 と、なかなかうまいですね。

若い黒人男性に多いファッションなので、偏った方法で厳しい罰金を科しているということで、この saggy pants 禁止令は、撤廃されるようです。

お尻を出したら犯罪ですが、下着までならよしとするのでしょうね。


ところで、no ifs, ands, or buts は、without a doubt (疑いなく)という意味もあり、次のような例文も載っていましたので、付け加えておきます。

As far as I'm concerned, she's the most qualified candidate, and there are no ifs, ands, or buts about it!
(私の考えでは、彼女が最も適任の候補者であり、そのことについて疑いはない。)


社交的だけではない outgoing

スマホに送られてくるニュースに目を通していて、次のような見出しを見つけました。

Japan's outgoing PM Abe goes back to hospital
(辞職することになっている日本の安倍首相は、病院にもどる。)

outgoing と言えば、まず、「社交的な、交際好きな」 という意味が先に浮かんでしまい、あれっと思いましたが、次の瞬間に、なるほど、文字通り outgoing = 出て行く → 「職を辞する、地位を退く」 という意味になることを悟りました。

She is a very outgoing person.
(彼女はとても社交的な人だ。)  のように会話ではよく聞きますが、outgoing は、上記のように 「職を辞する」 という意味でも使える語のようです。

出て行くという意味の outgoing は、次の3つの用法があります。

① departing (出発する) 
例: outgoing flight (出発航空便)

② retiring or withdrawing from a place or position
(場所や地位から退職したり退く)
例: outgoing president (退職する社長)   
安倍首相の例は、これに当てはまりますね。

③ directed to an intended recipient
(所定の受信者へ向けた)
例 : outgoing mail (発送する準備ができた郵便物、送信/発信メール)

outgoing mail に対して、incoming e-mail は、受信メールですね。

これらの outgoing は、どれもある場所から leaving することを表していますね。

Outgoing PM Abe has a very outgoing personality.
(辞職することになっている安倍首相は非常に社交的な性格をしている。) というような文も文法的には可能なのでしょうけど、ちょっと紛らわしいので、そんな文を書く人はいないのかもしれませんね。

ところで、アメリカ大統領選挙も近づいてきていますが、トランプ政権は、outgoing administration (退陣する政権)となるのでしょうか。

電車は出てしまった

もう今さら言っても仕方がない、手遅れだという意味で、夫が使った表現がおもしろいなあと思いました。

That train has left the station.

直訳すれば、「電車は駅を出発してしまった。」 ということですが、「時すでに遅し。」 という意味になるそうです。

そんな言い方があるんだなあと夫と話していると、息子が、同じように次のような表現もあると言いました。

That ship has sailed.
(船は出航してしまった。 → 時すでに遅し。)

電車や船が出てしまって、乗り遅れてしまった光景が浮かんで分かりやすいですね。

調べてみると、The bird has flown. (鳥は飛んで行ってしまった。) もありました。

そして、今日たまたまBSでネバダスミスという映画を見たのですが、最初に主役のスティーブマックイーンの両親が惨殺されて、そのことに対して、隣人がつらそうに、一人残されたスティーブマックイーンに言ったひとことが、次の通りです。

There is nothing you can do.
(もうできることは何もない。)

これも、It's too late (to do anything.) (手遅れだ。)ということになりますね。

That train has left the station. も It's too late. の意味で使えますが、定義は次の通りで、ちょっと突き放した感じがするように思います。

That opportunity has already passed.
(その機会はすでに過ぎてしまった。)

例えば、ガールフレンドを失ってしまったことを後悔していると、友人から次のように言われるかもしれません。

She is dating someone else, that train has left the station.
(彼女はもう他の人とデートしているよ。もう手遅れだよ。)

ところが、両親を殺されてしまった人には、the train has left the station とは言えませんね。

there is nothing you can do (about it) の方は、相手に対する慰めの気持ちを込めて使える表現でもあるように思います。
そして、両親が生き返られないように、もうどうしようもないという感じですね。

that train has left the station の方は、機会はあったのに、チャンスを逃してしまったということですね。

電車に乗り遅れたら、次の電車に乗るしかありませんが、よい機会は逃さない方がいいですね。



お知らせ
プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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