友人のお嬢さんは、ある学校を不合格になったものの、その後通った別の学校で学習、生活面の両方ですばらしい高校生活を過ごしたと言い、次のようなことわざを言っていました。
When one door closes, another opens. 「一つのドアが閉じると、別のドアが開く。」 ということで、「捨てる神あれば、拾う神あり。」 に当たるのでしょうか。
一つのドアが閉まったことで、他のドアが開いて、結果的によいこともあるということで、前向きになれるいい言葉ですね。
これは、Alexander Graham Bell の言葉のようです。
そして、次のように続くそうです。
.... but we often look so long and so regretfully upon the closed door that we do not see the one which has opened for us.
(しかし大抵、我々はあまりに長い間悔やみ閉まってしまったドアを見つめてしまい、開かれたドアを見ない。)
本当にそうですね。 ついつい失敗や不幸の方を向いて落ち込んでしまいがちですが、開かれた方を向いて気持ちを切り替えるといいのでしょうね。
Emily Dickinson という詩人が次のように言っています。
Hope is the thing with feathers. (希望とは羽があるものだ。)
どこへでも希望を持って行けば新しい道が開くという感じでしょうか。
苦しいことがあっても、他のドアがあることを信じて前向きでありたいものですね。
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Exercising to relieve stress (運動はストレスを和らげる) という見出しの新聞記事の中で、次のように upshot という語が使われていました。 The upshot of these experiments is that abundant galanin seems to be crucial for resilience. (これらの実験の結果は、回復力には豊富なガラニンが極めて重要らしいということです。)upshot は、次のような定義が載っています。 ① the final result, conclusion, outcome (最終的結果、結論、結末) ② the gist, as of an argument or thesis (議論や論文の要旨)upshot がどうしてこのような意味になるのか調べてみると、スポーツのアーチェリーの用語から来ているようです。 アーチェリーの試合の最後のショットを upshot と言うことから、比喩的に上記のような意味で用いられるようになったとのことです。 あまりフォーマルな場で使う語でもないようですが、フィットネスに関する記事の中で使うにはふさわしいのかもしれません。 次のような例文もありました。 The upshot of the discussions was that no one will be laid off. (討論の結論は、だれも一時解雇されないということだった。) 夫は、upshot は positive outcome (前向きな結果) について使うと言い、HiNative というサイトでもそのように説明していますが、辞書にはそのような記述はありません。upshot の up は、「上」 ということでポジティブな結果となるのでしょうか。
息子は現在、後輩の高校生に数学を教えるアルバイトをしています。 教える準備もきちんとして、教えることは楽しいと言いながらも、次のようなことわざがあると言います。Those who can, do, those who can't, teach. このことわざは、どのように訳そうかと考えてしまいます。 次のような定義が載っています。 Those who are especially skilled in a certain field or area will be able to pursue a career, while those who are less skilled will end up teaching about it instead. (ある特定の分野や領域において、とりわけ特殊な技能のある人は、そのキャリアを積むことができ、それほど特殊技能がない人は代わりにそれについて教えることになるだろう。) 「できる人はそれを行い、できない人は教える。」 という感じでしょうか。 息子のケースで例えると、数学ができる人は、それをやり続けて仕事にするが、数学があまりできない人は、それを人に教える仕事をするということでしょうか。 これは世の中の教育者に対してかなり失礼なことわざだなあと思います。 人にものを効果的に教えるにはスキルが必要ですね。 教え続けることは学び続けることで、それはできない人がすることではないと私は思います。 アインシュタインのような人は、物理を学び続ける方がよかったのでしょうし、すばらしい研究者だからといって教育できるとは限りませんね。 息子は来年秋に大学へ入学することになっていて、将来何をするにしても、まずは学び続けることからスタートです。
少し前に 「プラダを着た悪魔」 という映画を観ました。 ジャーナリストを目指すアン ハサウェイがアシスタントとして、ファッション雑誌の編集長で悪魔のような上司 メリル ストリープの下で働く姿を描いた物語です。 アン ハサウェイが職場の男性に仕事の愚痴を言った時に、その男性が次のように言いました。 Because this place, where so many people would die to work you only deign to work. (ここは多くの人が働きたくてたまらないところなのに、あなたは嫌々仕事をしているだけだからだ。)deign という語を初めて聞きました。 夫も息子もあまりなじみがない語のようで、どの程度使われる語なのかは分かりませんが、deign という語がどういう意味の言葉なのか気になりました。 定義は次の通りです。 to do something unwillingly and in a way that shows that you think you are too important to do it (自分の品位が高すぎてそんなことはできないと考えているのが分かるように、何かを嫌々ながらすること) ここでは、名門大学を卒業して、本当はジャーナリストとして働きたいアン ハサウェイが、お高く留まっているのではないかと言われているということですね。deign は dignity (威厳、尊厳、品位、高位)と語源が同じなので、一緒に覚えておくといいかもしれませんね。 フランス語では daigner (~してやる) に当たり、deign to work は、「働いてやる」 という感じなのでしょうか。 She would not deign to work as assistant. なら、自分の品位にふさわしくないので、アシスタントして働かないということになりますね。 また、The duchess deigned to shake my hand. なら、「公爵夫人は、恐れ多くも私と握手してくださった。」のように訳せます。deign は、「品位にふさわしくないので嫌々~する」 という場合もあれば、「恐れ多くも~してくださる」 という場合もあるようです。
息子が自分の傘の骨の数を数えたらしく、何本だと思うかと聞くので、ちょっと考えて8本と答えました。 傘の骨の数など、あまり考えたこともなかったのですが、調べてみると実際に8本というのが主流のようです。 何となく偶数本の方がバランスがよさそうに思ったのですが、息子の傘の骨は7本だそうで、奇数本のものもあるようです。 umbrella は、誰でも知っていますが、傘の骨はどうでしょう。 骨は骨でも、rib と言うそうです。 次のような定義が載っています。 one of the stiff strips supporting an umbrella's fabric (傘の生地を支える堅い細長い一片)rib と言うと、sparerib や ribeye のようなステーキが浮かんでしまいますが、傘の骨は、rib (肋骨状のもの)という単語を使うわけですね。 傘を広げると、骨が少し曲がっていて肋骨に似ているようにも思います。 また、葉っぱの 「葉脈」 や昆虫の 「翅脈」 も rib でよいようです.。 「葉脈」 や 「翅脈」は、vein (静脈)とも言うそうで、静脈的な役目を果たしているということなのでしょうか。 ピーナッツバターも、バターは入っていなくて、バター状のものということですね。 実際の骨ではなくても、傘の肋骨と言えるわけですね。
電車やバスに乗る時に IC カードを使う人が多くなっていますね。 私もしばらく切符を買っていましたが、最近は ICカードを使っています。 ICカードは便利でいいですが、切符の値段を確認せずに乗れるので、お金を払って電車に乗っているという感覚がだんだん薄れていくような気がしています。 改札口で、夫は、ICカードを読み取り部分にタッチさせるので、私が、ICカードをタッチさせなくても大丈夫だと言うと、Just hover it over ? (かざすだけ?) と言いました。hover と言うと、remain in one place in the air (空中で一か所にとどまっている。) という意味があるので、ついヘリコプターが空中でぐるぐる舞っているのを想像してしまいます。 helicopter parent(上空から子供を監視しているような過保護な親) という表現もありましたね。 また、hoverは、「(人や場所のそばを)うろうろする、付きまとう」 という意味もあり、次のように使えます。 A waiter hovered near the table, ready to take our order. (ウエイターが私たちの注文をとろうとして、テーブルの辺りをうろうろしていた。) そして、hover が、「(カードなど)をかざす」 という意味でも使えることを最近知りました。 次のように言えます。Hover the card over the card reader. (カードをカード読み取り機にかざしてください。) 私の持っている辞書で hover を引いても、 「カードなどをかざす」 という意味は載っていませんが、今後載ることになるのでしょうか。 ヘリコプターが上空を舞うのも、ウエイターが近くをうろうろするのも、カードをかざすのも、何かから離れているという点は共通しているのかもしれません。
息子から、ちょっとおもしろい表現を仕入れました。 次のように使えるそうです。 She weighs 100 pounds soaking wet . こんな文を聞いても、何を言おうとしているのか全然分かりませんでした。soaking wet は、通常は次のように、 「ずぶぬれで、びしょぬれで」 という意味でよく使われますね。 Her clothes were soaking wet . (彼女の服はびしょぬれだった。) では、上記のように、体重 (100 pounds など)と一緒に soaking wet を使うとどんな意味になるのでしょう。weight + soaking wet は、「びしょぬれになったとしても~ポンドだ。」 という意味になるようです。 洋服などが水を含むと重くなりますね。 びしょぬれになった服を着ていたとしても 100 ポンドだろうということで、せいぜい 100ポンドということですね。 なので、実際の体重は 100ポンド以下であり、その人がやせているということを表すのに使える表現のようです。 ただ、あまり丁寧な言い方ではなさそうなので、私たち外国人が使う必要もないとは思いますが、soaking wet をこんな風に使うという考え方がおもしろいなあと思いました。 soaking wet を使わずに、次のように言い換えることもできますね。 She weighs 100 pounds at most. (彼女はせいぜい100ポンドだ。) どちらにしても、体重についてはあまり話題にしない方がいい場合もありますね。。
外国人が病院に行く時に付き添う通訳ボランティアをしたり、家族が病院に行く場合も付き添うことがあります。 行く前には、受診する診療科の語彙をざっと調べるようにしていますが、それでも何かしら勉強になることがよくあります。 先日、夫が皮膚科に行った時に付き添い、ある症状について、何か原因があるものなのかと医師に聞くと、「体質ですね。」 とおっしゃいました。 「体質」 を簡潔に言えなかったので、次のように言ってみました。 Some people are just easier to get certain illness than others, or maybe they inherit it from their parents. (ある病気に関しては、他の人よりも、かかりやすい人がいて、親から遺伝しているものかもしれない。) こういうことを表す語はないかと夫に尋ねると、次のような答えが返ってきました。predisposition (体質)という語です。 私の説明で、何とか言いたかった「体質」 という語を導きだせてよかったです。disposition は、「人の気質、素質、傾向、性質」 などの意味があり、それに pre 「前の」 が付いたもので、次のような定義が載っています。 a tendency to behave in a particular way or suffer from a particular illness (ある特定の仕方で行動したり、ある病気にかかりやすいという傾向) ① ~しやすい傾向、② ある種の病気にかかりやすい体質 ということですね。 次のような文も作れます。 You have a predisposition to obesity. (あなたは肥満になりやすい体質だ。) 体質というのは、親から受け継いだ素因などによる体の性質ということでしょうか。 遺伝的素因は仕方がないとしても、環境的な要因もあるかもしれませんね。 改善できそうなことは努力すべきかもしれません。predisposition は、日常語ではないかもしれませんが、聞いたら分かる程度には覚えていてもいいかもしれませんね。
トランプ大統領が選挙運動のための大きな集会を開くことについて、アメリカ国立アレルギー ・ 感染症研究所のファウチ所長が、次のように言っています。 We know that that is asking for trouble when you do that at a time when coronavirus cases are surging in many states. (多くの州でコロナウィルス感染者が急増しているような時にそういうことをすると、自ら災難を招くことだということが分かっている。)be asking for trouble, ask for trouble は、わざわざ自分から trouble = 災難を ask for = 求めるようなことだということですね。 次のような定義が載っています。 to do something that is very likely to have a bad effect or result (大抵悪い影響や結果となるような何かをすること) behaving in a way that is likely to cause problems for you (自分に問題を引き起こすようなやり方で行動すること) 「自ら災難、困難を招く、自業自得である、墓穴を掘る、自分の首をしめる」 のような訳も載っています。ask for trouble は、普段の会話でも使われ、ちょくちょく聞く表現です。 Walking around downtown late at night is asking for trouble . (夜遅くに繁華街を歩き回るのは、自ら災難を招いているということだ。) Anyone who buys second-hand car tires is just asking for trouble . (中古の車のタイヤを買う人は、自ら災難を招いているということだ。) Anyone who criticizes him is asking for trouble . (彼を批判する人は、自ら災難を招いているということだ。→ 彼を批判するとあとがこわい。) トランプ大統領は、再選されるためにかなり焦っているように見え、自分の首をしめるような行動をとっているのかもしれません。 大統領選挙まで残り少なくなってきましたが、隠れトランプサポーターがどのくらいいるのか気になるところです。
古本を売っている店で たまたま 「知的な聴き方」 という本を見つけて、おもしろそうなので買って読み始めました。 著者は言語学者、英文学者の外山滋比古さんで、彼の本は他にも学生時代に何冊か読んだことがあります。 この本の中で、次のようなことわざが紹介されています。Children should be seen and not heard. 簡単な言葉が並んでいますが、うまく訳すのは少々厄介な文ですね。 直訳すると、「子供は見られるべきで、聞かれるべきではない。」 となります。 聞かれるべきではない → 口をきくな(だまっていなさい) → 見られるべき ということのようで、本の中には次のような訳が載っています。「大人の前では、よけいなことを言わないで、じっとしていなさい。」 分かっても分からなくてもじっとよく聴きなさいという含みがあるようです。 アメリカに住んでいた時に、夏の間、息子が通わせていただいた日本の小学校の校長先生が朝礼で、人の話を聴くことの大切さを児童たちにお話しされていたことがありました。 「聴」 という字は、耳、目(横になっている)、心という字でできていて、それらを全部使って聴くということだとおっしゃっていて、親の私もなるほどなあと勉強になったことを思い出します。 日本では、大人の会話に子供が口をはさむことが多いと外山滋比古さんは書いています。 確かにその通りで、子供がいると大人同士の会話が成り立たないことがあり、それで当たり前だと思っているようです。 そこで、思い出したのが、先日のアメリカの副大統領討論会で話題になった民主党副大統領候補のカマラ ハリス さんが使っていた表現です。 Mr. Vice President, I'm speaking . (副大統領、私が話しているんですけど。) この (Excuse me,) I'm speaking. は、大人同士の会話で子供が口をはさんできたときに、親が子供に対して言うのを何度か聞いたことがあります。 親は子供だからといって、人の発言をさえぎることをしてはいけないというしつけをするのだと感じました。 会話でも討論会でも、自分の順番を待って発言することは大事なことですね。 そして、そのためには相手の話をじっと聴くことも必要です。 自分の言いたいことだけをまくしたてるのではなく、人の話をじっと聴くことができるように子供のころからしつけることは大切なことだと思います。