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ゲティスバーグの演説 について考えたこと

ペンシルバニア州滞在中に、Gettysburg National Military Park (アメリカ国立軍事公園)の博物館に行きました。

ゲティスバーグの戦い、その後のリンカーン大統領の Gettysburg address (ゲティスバーグの演説)が有名ですね。

人民の人民による人民のための政治という言葉は、学校でも習いますが、これは、演説の最後の部分で、次のようになっています。

ーthat we here highly resolve that these dead shall not have died in vain—that this nation, under God, shall have a new birth of freedom, and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

(これらの戦死者の死を決して無駄にしないように、神の下にあるこの国で、自由の新しい誕生を迎え、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から絶滅させないために、私たちは、ここに固く決意する。)

博物館のパンフレットによると、この演説は272語の短いものだったようですが、英語としても masterpiece (傑作)だということです。

ゲティスバーグの激戦で多くの犠牲者を出した後、生きている人々が戦死した人々の意思を受け継いて、人民の人民による人民のための政治をしていこうということですね。

実はここまでは、長い前置きで、演説の中で、私が気になった一文は下記です。

We are met on a great battle-field of that war.
(私たちは、あの戦争の激戦地に集まっている。)

どこが気になったかというと、are met というところです。

このような be 動詞+過去分詞という使い方は、通常はしませんね。

これは、We have met / We have assembled / We meet などと言い変えられそうです。

このような使い方は、今では古く、または詩的な感じがしますが、リンカーン大統領だけではなく、ジョンソン大統領も1965年に、次のように言ったそうです。

We are met here tonight as Americans—not as Democrats or Republicans—we are met here as Americans to solve that problem.
(私たちは、今夜アメリカ人としてここで集まっている。民主党員、共和党員としてではなく、その問題を解決するためにアメリカ人として、ここに集まっている。)

We meet よりも、We are met とする方が、厳粛で、重々しさを出すということのようです。

なので、普段の会話で使うようなものではありませんが、1863年11月19日に、リンカーン大統領が使った表現として、ちらっと覚えておいてもいいかもしれませんね。


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We are met (by God) ~

有名はリンカーンの演説ですね。

We are met について僕の解釈を記載しました。

Will, should, must, wouldとも、Iと You 、あるいは「話者」と「聞手」の関係の中で意味が成立しているのに対して、Shallは I と You の間に神が介在し、その神にお伺い立てながら I が You に話しかける、あるいはお願いするという説があります。

そう考えると、文の内容は以下のように解釈できるかと思います。

these dead shall not have died in vain
「この死者たちが無駄死にしなかったらいいのに。(神様、そうだよね)」

this nation, under God, shall have a new birth of freedom,
「この国民に新たな自由の誕生をもたらすように(神様、お願い)」

government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
「国民による~国民の政府が、この世の中からなくなりませんように(そうだよね、お願い神様)」

上記の文脈から課題の文は

We are met (by God) on a great battle-field of that war.

ではと推測できます。

英語トレーニングの興味がわく話題楽しみしにしています。v-218

Re: We are met (by God) ~

stou Kevin さん、こんばんは。
コメントありがとうございます!

深く読み込んでくださって、とても興味深く読ませていただきました。

なるほど、神にお伺いを立てるという感じなのですね。
そして、神様、どうか見守っていてくださいという感じの意味が入っているということなのでしょうか。
We are met というのも、神の意志によるので、皆でこの機会を厳粛に受けとめようということなのかもしれませんね。

聖書にも、Thou shall not kill. などとありますが、これも神の言葉なのでしょうね。
いろいろと考えるときりがなく、おもしろいですね。

勉強になるコメントをありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします!

We are metに関連して

1 We are met.は 「be + 自動詞のpp」です。「結果を表す完了形」或いは『完了後の状態』と解されています。こうした「自動詞のpp」は何れ形容詞と解せられるようになるのではないか、と私は予感します。対する「have + pp」は通常の現在完了、『動作の完了』です。さてWe are met のmetは自動詞ですから受動態ではなく、従って(by God)が続くはずがありません。
2. Godはunder God、つまりover usであって、with usではありません。遠藤周作の「沈黙」をご覧になったことがおありでしょうか。Lincoln直筆のCopyが5種類ありますが、初めの2種類にはunder Godがありません。Godに依存するのは如何なものでしょうか。
3. Thou shalt not kill. (shallはthouではshaltに変化します)のshallは「主語に対する話者の意思」を示します。「Godなる話者の、Thouなる主語に対する意思」、つまり「決して汝をして殺させはしないぞ」です。手持ちの英訳聖書では「Do not murder.」としています。resolveの傘下にある3つのshallも「主語の対する話者の意思」を示します。この場合、shallは話者なる我々the peopleの強い意思を表明します。
4. アマゾンKindle版の拙著「The Gettysburg Addressを読み解く(2019)」をご覧頂ければ幸いです。

Re: Re: Re: We are metに関連して

小林様
ご訪問、コメントをいただき、ありがとうございます。

We are met. の met は、自動詞だと私も思います。受動態だという考えもなかったのですが、ここに集まっているということの厳粛さが何か神の意志のようにも感じられ、でも「完了後の状態」ということで、深読みする必要もないのでしょうか。

遠藤周作の「沈黙」は、残念ながら読んでおりません。神は、over us で、見守ってくれているという感覚ではいけないのですか。

Thou shalt なのですね。訂正ありがとうございます。shall が主語に対する話者の意思ということは、よく理解できます。

ゲティスバーグ演説についての本を書かれたのですね。またのちほど拝見させていただければと思います。
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プロフィール

Author:Yurikoyama
アメリカ人の夫と息子と三人家族です。高校ではバージニア州のハイスクールで交換留学生として1年間過ごし、その後日本の大学でフランス語を学びました。
いろいろな言語に興味があり、現在はスペイン語もぼちぼち学習しています。

アメリカのニューメキシコ州、テキサス州で12年、香港で6年、そして2018年から約3年大阪で住み、2021年12月にアメリカのペンシルベニア州に引っ越してきました。
息子はニューヨーク州にある大学で寮生活をしており、これからリタイアした夫と二人の生活です。。。

日常、気になった言葉や表現について書いています。
よろしくお願いいたします。

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