他人の不幸を喜ぶ
他人の不幸を喜んではいけませんが、誰もが少しはそういう経験をすることがあるかもしれません。
例えば、こちらが親切にその人のことを思ってアドバイスしたのに、その人が言うことを聞かず、結局その人が痛い目にあったというような場合、英語では、See, I told you. (だから、言ったのに、言わんこっちゃない。)などと言うことがあります。
そういう話をしていると、他人の不幸を喜ぶ気持ちを表すのに、schadenfreude という言葉があると、夫から聞きました。
スペルから察しがつくように、ドイツ語ですが、次のような意味です。
schaden = damage、harm(損害)
freude = joy(喜び)
「だから言わんこっちゃない。」 というのは、どこか明るいイメージもしますが、schadenfreude は、他の人の失敗や不幸を、心の中で快く思ってしまうような感情のようです。
英語には、ぴったりの表現がないので、この言葉を英語に取り入れていると、夫が言います。
日本語では、「ざまあみろ、いい気味だ、人の不幸は蜜の味」 などが近い意味になるようです。
そこで、英語にも schadenfreude に相当する何かあるのではないかと探してみました。
最も近いのは、gloat という動詞で、「ほくそ笑む、他人の不幸をいい気味だと思う」 のような意味があります。
He gloats over his rival's misfortune.
(彼は、ライバルの不幸にほくそ笑む。)
He had a feeling of schadenfreude when his ex-wife’s second marriage failed.
(彼は、前妻の再婚が失敗した時、いい気味だという気持ちにになった。)
schadenfreude は、他人の不幸に重点が置かれ、gloat は、他人の不幸よりも、それについて自分が満足する方に重点が置かれている感じのようです。
他人の不幸を喜ぶというと、ちょっと恐ろしいように思いますが、人間の深層心理として、他人を超えたいと思うものがあるのだろうと思います。
もうひとつ、まじめな公平さを示す言葉でもあるように思いました。 勉強をさぼっていて、テストで失敗した生徒を見て、まじめに勉強していた生徒は、この schadenfreude を経験することもあるのだと思います。
ただ、その生徒が大事な受験で失敗したり、事故に遭いけがをしたような場合は、やっぱり schadenfreude ではなく、気の毒だと思う場合が多いように思います。
なので、schadenfreude は、あまり深刻ではない状況で、ちょっと優越感に浸るような場合に使われるような感じなのでしょうね。
例えば、こちらが親切にその人のことを思ってアドバイスしたのに、その人が言うことを聞かず、結局その人が痛い目にあったというような場合、英語では、See, I told you. (だから、言ったのに、言わんこっちゃない。)などと言うことがあります。
そういう話をしていると、他人の不幸を喜ぶ気持ちを表すのに、schadenfreude という言葉があると、夫から聞きました。
スペルから察しがつくように、ドイツ語ですが、次のような意味です。
schaden = damage、harm(損害)
freude = joy(喜び)
「だから言わんこっちゃない。」 というのは、どこか明るいイメージもしますが、schadenfreude は、他の人の失敗や不幸を、心の中で快く思ってしまうような感情のようです。
英語には、ぴったりの表現がないので、この言葉を英語に取り入れていると、夫が言います。
日本語では、「ざまあみろ、いい気味だ、人の不幸は蜜の味」 などが近い意味になるようです。
そこで、英語にも schadenfreude に相当する何かあるのではないかと探してみました。
最も近いのは、gloat という動詞で、「ほくそ笑む、他人の不幸をいい気味だと思う」 のような意味があります。
He gloats over his rival's misfortune.
(彼は、ライバルの不幸にほくそ笑む。)
He had a feeling of schadenfreude when his ex-wife’s second marriage failed.
(彼は、前妻の再婚が失敗した時、いい気味だという気持ちにになった。)
schadenfreude は、他人の不幸に重点が置かれ、gloat は、他人の不幸よりも、それについて自分が満足する方に重点が置かれている感じのようです。
他人の不幸を喜ぶというと、ちょっと恐ろしいように思いますが、人間の深層心理として、他人を超えたいと思うものがあるのだろうと思います。
もうひとつ、まじめな公平さを示す言葉でもあるように思いました。 勉強をさぼっていて、テストで失敗した生徒を見て、まじめに勉強していた生徒は、この schadenfreude を経験することもあるのだと思います。
ただ、その生徒が大事な受験で失敗したり、事故に遭いけがをしたような場合は、やっぱり schadenfreude ではなく、気の毒だと思う場合が多いように思います。
なので、schadenfreude は、あまり深刻ではない状況で、ちょっと優越感に浸るような場合に使われるような感じなのでしょうね。
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