子供は静かにするべき?
古本を売っている店で たまたま 「知的な聴き方」 という本を見つけて、おもしろそうなので買って読み始めました。
著者は言語学者、英文学者の外山滋比古さんで、彼の本は他にも学生時代に何冊か読んだことがあります。
この本の中で、次のようなことわざが紹介されています。
Children should be seen and not heard.
簡単な言葉が並んでいますが、うまく訳すのは少々厄介な文ですね。
直訳すると、「子供は見られるべきで、聞かれるべきではない。」 となります。
聞かれるべきではない → 口をきくな(だまっていなさい) → 見られるべき ということのようで、本の中には次のような訳が載っています。
「大人の前では、よけいなことを言わないで、じっとしていなさい。」
分かっても分からなくてもじっとよく聴きなさいという含みがあるようです。
アメリカに住んでいた時に、夏の間、息子が通わせていただいた日本の小学校の校長先生が朝礼で、人の話を聴くことの大切さを児童たちにお話しされていたことがありました。
「聴」 という字は、耳、目(横になっている)、心という字でできていて、それらを全部使って聴くということだとおっしゃっていて、親の私もなるほどなあと勉強になったことを思い出します。
日本では、大人の会話に子供が口をはさむことが多いと外山滋比古さんは書いています。
確かにその通りで、子供がいると大人同士の会話が成り立たないことがあり、それで当たり前だと思っているようです。
そこで、思い出したのが、先日のアメリカの副大統領討論会で話題になった民主党副大統領候補のカマラ ハリス さんが使っていた表現です。
Mr. Vice President, I'm speaking.
(副大統領、私が話しているんですけど。)
この (Excuse me,) I'm speaking. は、大人同士の会話で子供が口をはさんできたときに、親が子供に対して言うのを何度か聞いたことがあります。
親は子供だからといって、人の発言をさえぎることをしてはいけないというしつけをするのだと感じました。
会話でも討論会でも、自分の順番を待って発言することは大事なことですね。 そして、そのためには相手の話をじっと聴くことも必要です。
自分の言いたいことだけをまくしたてるのではなく、人の話をじっと聴くことができるように子供のころからしつけることは大切なことだと思います。
著者は言語学者、英文学者の外山滋比古さんで、彼の本は他にも学生時代に何冊か読んだことがあります。
この本の中で、次のようなことわざが紹介されています。
Children should be seen and not heard.
簡単な言葉が並んでいますが、うまく訳すのは少々厄介な文ですね。
直訳すると、「子供は見られるべきで、聞かれるべきではない。」 となります。
聞かれるべきではない → 口をきくな(だまっていなさい) → 見られるべき ということのようで、本の中には次のような訳が載っています。
「大人の前では、よけいなことを言わないで、じっとしていなさい。」
分かっても分からなくてもじっとよく聴きなさいという含みがあるようです。
アメリカに住んでいた時に、夏の間、息子が通わせていただいた日本の小学校の校長先生が朝礼で、人の話を聴くことの大切さを児童たちにお話しされていたことがありました。
「聴」 という字は、耳、目(横になっている)、心という字でできていて、それらを全部使って聴くということだとおっしゃっていて、親の私もなるほどなあと勉強になったことを思い出します。
日本では、大人の会話に子供が口をはさむことが多いと外山滋比古さんは書いています。
確かにその通りで、子供がいると大人同士の会話が成り立たないことがあり、それで当たり前だと思っているようです。
そこで、思い出したのが、先日のアメリカの副大統領討論会で話題になった民主党副大統領候補のカマラ ハリス さんが使っていた表現です。
Mr. Vice President, I'm speaking.
(副大統領、私が話しているんですけど。)
この (Excuse me,) I'm speaking. は、大人同士の会話で子供が口をはさんできたときに、親が子供に対して言うのを何度か聞いたことがあります。
親は子供だからといって、人の発言をさえぎることをしてはいけないというしつけをするのだと感じました。
会話でも討論会でも、自分の順番を待って発言することは大事なことですね。 そして、そのためには相手の話をじっと聴くことも必要です。
自分の言いたいことだけをまくしたてるのではなく、人の話をじっと聴くことができるように子供のころからしつけることは大切なことだと思います。
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