empathy vs sympathy
アカデミー賞の受賞スピーチを聞いていて、気になった単語がありました。
外国映画賞に選ばれたイラン映画の監督が、セレモニーに出席することをボイコットして、代理の女性が読み上げたスピーチの最後を下記のように締めくくっていました。
An empathy which we need today more than ever.
(共感するということが、、今日の私たちにとって、ますます必要なものだ。)
empathyを辞書で引くと、「共感、共感的理解」などという意味が載っています。
そこで、よく似たsympathyという単語を思い出しました。 sympathyは、通常「同情」という訳で覚えますが、「共感」と「同情」とどちらも似たような感覚で混同してしまいがちかなと思います。
sympathyは、他の人の悲しさや苦労などをかわいそうだと感じたり、気の毒に思ったりすることです。
そしてempathyは、もう少し踏み込んで、相手の立場になって、その苦労を自分のことのように考えることができる、ということです。
「人の身になってみる」という慣用句は、たまに耳にすることがありますが、put oneself in one's shoesで表すことができ、、It is hard to put yourself in somebody else's shoes.(他の人の身になってみるのは、難しいことだ。)のように使えます。
同情することは、易しいことですが、共感することは、少し努力がいることなのかもしれません。
外国映画賞に選ばれたイラン映画の監督が、セレモニーに出席することをボイコットして、代理の女性が読み上げたスピーチの最後を下記のように締めくくっていました。
An empathy which we need today more than ever.
(共感するということが、、今日の私たちにとって、ますます必要なものだ。)
empathyを辞書で引くと、「共感、共感的理解」などという意味が載っています。
そこで、よく似たsympathyという単語を思い出しました。 sympathyは、通常「同情」という訳で覚えますが、「共感」と「同情」とどちらも似たような感覚で混同してしまいがちかなと思います。
sympathyは、他の人の悲しさや苦労などをかわいそうだと感じたり、気の毒に思ったりすることです。
そしてempathyは、もう少し踏み込んで、相手の立場になって、その苦労を自分のことのように考えることができる、ということです。
「人の身になってみる」という慣用句は、たまに耳にすることがありますが、put oneself in one's shoesで表すことができ、、It is hard to put yourself in somebody else's shoes.(他の人の身になってみるのは、難しいことだ。)のように使えます。
同情することは、易しいことですが、共感することは、少し努力がいることなのかもしれません。
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