外国語を勉強するということ
息子が、学校の先生に教わり、私に教えてくれたドイツの詩人で哲学者の Wolfgang Johann von Goethe の言葉があります。
He who does not know another language does not know his own.
(他の言語を知らない人は、母語を知らないということだ。)
なるほどと、同意する人もいれば、外国語を知らなくても、立派な国語学者もいるのではないかという反論もありそうですね。
母語だけで生活していると気づかないことを、外国語が気づかせてくれることは確かで、それによってより深く母語を知ることができ、より大きな言語の世界を楽しむことができるというようなことを言おうとしているのではないかと思います。
私にとっては、ひとつの言語、たとえ母語でもマスターすることは不可能で、どうせマスターできないなら、多くの言語を学び、いろいろな考え方を知りたいと思っています。 極めることが難しくても、少しでも上達するために、母語も外国語も並行して勉強していくのが理想なのではと思います。
以前、外国人に日本語を教えていたころに、日本語の語彙について、考えさせられることがたくさんありました。
例えば、窓を「開ける」と言い、窓を「開く」と言うと不自然なのはどうしてなのだろうかという質問です。 英語なら、開けるも開くも open ですね。
open という意味の中で、日本語には、開けると開くの使い分けがあるんですね。
ものの開閉を平面的に行う場合は、「開ける」で、立体的に行う場合は、「開く」のような違いがあるようです。
(例: 傘を開く、ふすまを開ける、缶詰を開けるなど)
もちろん、両方使える場合もあり、もっといろいろな分析もありますが、このように、外国語が母国語の人が、不思議に思うことから改めて日本語を深く考えるきっかけになることがあります。
外国語を学ぶことで、自然に学んだ日本語を、見直すことができるということで、上記の Goethe の言葉には、納得させられます。
He who does not know another language does not know his own.
(他の言語を知らない人は、母語を知らないということだ。)
なるほどと、同意する人もいれば、外国語を知らなくても、立派な国語学者もいるのではないかという反論もありそうですね。
母語だけで生活していると気づかないことを、外国語が気づかせてくれることは確かで、それによってより深く母語を知ることができ、より大きな言語の世界を楽しむことができるというようなことを言おうとしているのではないかと思います。
私にとっては、ひとつの言語、たとえ母語でもマスターすることは不可能で、どうせマスターできないなら、多くの言語を学び、いろいろな考え方を知りたいと思っています。 極めることが難しくても、少しでも上達するために、母語も外国語も並行して勉強していくのが理想なのではと思います。
以前、外国人に日本語を教えていたころに、日本語の語彙について、考えさせられることがたくさんありました。
例えば、窓を「開ける」と言い、窓を「開く」と言うと不自然なのはどうしてなのだろうかという質問です。 英語なら、開けるも開くも open ですね。
open という意味の中で、日本語には、開けると開くの使い分けがあるんですね。
ものの開閉を平面的に行う場合は、「開ける」で、立体的に行う場合は、「開く」のような違いがあるようです。
(例: 傘を開く、ふすまを開ける、缶詰を開けるなど)
もちろん、両方使える場合もあり、もっといろいろな分析もありますが、このように、外国語が母国語の人が、不思議に思うことから改めて日本語を深く考えるきっかけになることがあります。
外国語を学ぶことで、自然に学んだ日本語を、見直すことができるということで、上記の Goethe の言葉には、納得させられます。
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